DEAR.悟空 03|回想

私は昨夜、なにやらすごい経験をしてしまったように思う。これを欲求不満極まれりとするか否かはまだわからない。
無骨であまり手入れのされていない硬い指先の感触が、まだ首筋と手に残っていた。

「こんなに綺麗じゃなかった」

谷底に足を投げ出して崖の上に座りながら煙草を吸う悟浄が放り出した右手をまじまじと見る。なんなら手に取って見る。
細くて筋の通った大きな手は、その大きさの割に男らしさは感じさせない。爪も短くカットされて清潔感もバッチリである。悟浄は顔や態度こそアレだけど、手の印象だけで言えば柔和な感じなのだ。
私が焦がれていた“男性の手”はこれだった。はずなんだけど。

「誰と比べて?」
「ううん、いや。悟浄の手は綺麗だなって」
「それ褒めてんの?」
「……うん、多分」
「何その間。てか多分て。褒めてくれよ」
「善し悪しは考えてなくて」

そう、善し悪しではない。
新しい選択肢を見つけたような、そんな感じだった。
今までの私にはこの一択しか存在しなかったのに、急に世界が開けたみたいな気がしたんだと思う。それに気づいたんだ。

よく考えてみれば、悟浄に「特定の相手とセックスしろ」と言われた時、真っ先に思いついたのが八戒だった。その次が三蔵と悟空、最後に悟浄。
本当に彼らが恋愛対象外であるならその候補にすらならないのではないか。そして、ずっと“男の子”だった悟空を本当に子供同等に扱っていたのなら、この人選に悟空が入るはずがないのではないか。
つまり、私はずっと前から、もしかしたら出会った日から、悟空のことをしっかり“男性”として認識していたのだ。

「綺麗な手もいいけど、ゴツゴツもいいよね」
「俺ぁさっきから誰と比べられてンの?」
「そこは気にしなくていいのよ」
「俺がナマエチャンのことすンごく心配して大事に大事にしてること知ってる?」
「ハァー」

めちゃくちゃ知ってるし、それが原因で何年悩まされてると思っているんだ。
でもそんな私に光が差した。昨日私がしたのはそういう経験だ。

「例えば私が悟空のこと好きって言ったらどうする」
「え、猿なの!?」
「いや、八戒とか三蔵でもいいけど」
「全部ビミョーなんですけどぉ」

悟浄は苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。

「じゃあ悟浄は?」
「最高に見る目あるけど、ムスメに“おとーさんと結婚する”って言われてるみてーだな」

ああ、私はいつまでこの恋に縛られているんだろう。この世で一番男性として見てはいけない人なのに。
わかっているのにどうにもできない。今まではそう思っていたけど、今日の私はなんとなく違う。
そろそろお互いにお互いを卒業しなきゃいけない時が来ているのだ。

「お父さんなら娘の成長見守って下さいよ」
「……あいつらのどれかを本気で好きってんなら反対しないぜ。ま、おとーさん視点なら俺含めて全員却下なんだけど」
「……私が私のおかーさんでも反対するわ」

悟浄の綺麗な手が私の頭に降る。宥めるようにぽんぽんと撫でられ、自然と瞼を伏せた。
大好きな手。
長く一緒に居すぎたせいで、私は恋と別の何かを勘違いしていたのだろうか。
もし今後悟浄に好きな人ができたとして、その時はもちろん胸が痛むだろうけれど、いつかちゃんと「おめでとう」と言えるような気がする。

「お前が幸せになってくれりゃ、それで良いわ」
「私も悟浄が幸せなら、もうそれでいいわ」
「もう、ってなんだよ」
「なんでもない」

私ももうわからなくなってしまった。
だけど、男女として悟浄と関わっていくのが正解じゃないことはわかる。
変化しないものなんて何も無い。
気持ちも環境も絶えず変化する中で、揺るぎなくそこにある関係を築きたい。それが悟浄の求めるものであるし私求めるものであった。
最初はそれだけだったはずなのに、いつからか私の独占欲が暴走してまっていた。
私の知らない悟浄がいることが悔しかった。どこぞの知らん女が知ってる顔を私が知らないのはおかしいと思った。昔話なんかどうだっていいけど、今の悟浄のすべてが知りたかった。
特別だと実感したかった。

「そろそろ行くぞー、早く戻んねーと置いてかれるからな」

さも自然に私に手を差し伸べ、地面から引き上げる。肩を組むように腕を回され、こんなに密着して歩く。
私はずっとずっと前から知っていた。
悟浄の方からこんなにベタベタ触れてくる女は私だけだってことを。

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