由井さんの彼女がマトリちゃんに嫉妬

ーー薬効体質。
それは俺があると信じて疑わずに長年研究を続けてきたテーマだった。嘲笑されても呆れられても捨てることができなかった夢。

「まだ寝ないんですか?」
「ああ、もう少し調べたいことがあって」

その夢が現実のものとなった今、俺は年甲斐もなく浮かれていた。
一体どんな遺伝子を持つのか、どんな薬物にどんな反応があるのか、一般的な人間との違い、調べたいことはたくさんあった。
そのために今からできることはしておこうと、今までまとめてきた資料を引っ張り出して読み返している。
薬効体質を持つ女性がマトリに配属になるまであと1週間。連日の徹夜続きでナマエには申し訳ない気持ちもあるけれど、なんせ量が量だけに終わりが見えない。

「……おやすみなさい」

彼女に声を掛けられてふと時計を見やれば0時を越えていた。振り向いてナマエを呼んで、おやすみのキスをする。本日四度目のキスだ。なかなか一緒にいる時間がない分、毎日のおはようと行ってきますとただいまとおやすみのこの四回だけは必ずしたい。
唇が離れると、ナマエは俺の方も見ずに寝室に引っ込んでいった。
机に向き直って資料の続きを読もうかと思ったけれど、どうもさっきのナマエの様子が脳裏にこびりついて離れない。
表情もどこか暗かったように思うし、足音も重かった。声だっていつもより低い。資料なんかいつだって読めるんだ、とりあえずキリの良い所まで読んで残りは後回しにしよう。
中途半端になっていたページの最後まで読み終え、ノートを片付けたらすぐに寝室に行けば、ナマエは壁際に顔を向けて小さく縮こまっていた。
その姿が妙に物悲しげに見えてしまい、心臓をチクリと一突きされたような気になる。
もう寝てしまっただろうか。まだ10分も経っていないけれど。

「ナマエ」

後ろから抱きしめるように隣に横たわると、腕の中のナマエがかすかにびくりと震えた。
首筋に顔を埋めれば、同じボディソープやシャンプーを使っているはずなのに俺とは違う、ナマエの匂いがした。

「調べ物は?」
「そんなことよりキミの様子の方が気になった」
「え」
「いつもより声のトーンが低い。それに足音から察するに体調不良のような気配も感じられる。どうした?」

十中八九なにかあったのは間違いない。連日の徹夜に関する後ろめたさがないわけでもなく、もし俺が忙しいことで彼女の変化に気づけなかったのだとすれば。
心配する気持ちの裏に僅かな焦りが首をもたげた。

「普段通りだと思います」
「そんなことはない、俺の診断は絶対だ。キミのことに関しては特に。普段と違うことがあったら遠慮なく話してくれ」
「……あの」

長い沈黙のあと、ナマエが俺に頬を擦り寄せるように頭を預けながら重たい口を開いた。

「うん?」
「その、薬効体質が、私にもあったらな、って、嫉妬していました」
「なんでそんなことを」

確かに薬効体質は俺が長年追い求めてきた奇跡だけれど、今の世の中で薬効体質の人間が生きていくのは大変なことも多いだろう。
だからこうして例の彼女だって身柄を拘束されるようにしてマトリに連行されたわけだし。違法薬物を取り扱う輩に狙われる可能性だってあるんだぞ。

「だって孝太郎さんがそんなに夢中だから」
「夢中、いや、うん、まあ夢中と言えば夢中かも知れないが」

しかしキミが思うような“夢中”では決して無いよ。
俺が夢中なのはあくまでも“薬効体質”であって、その持ち主には興味がないんだ。たとえ薬効体質の持ち主が男性であろうと、俺は今と変わらない。

「私だったら全力で孝太郎さんに協力しちゃいますよ。だって孝太郎さんはそんなに真剣に研究に取り組んでるんですよ? かっこよすぎる…… その子も私と同じ気持ちになっちゃったらどうするんですか? 私だって薬効体質になりたいです」
「うーん」

俺の腕の中で言葉を選びながらゆっくりそう話す彼女に、頭を抱えることしかできなかった。確かに俺は顔はいいし、初対面の女性からの受けはいいけれど。
だからといってそれで「私も薬効体質になりたい」はさすがに飛躍しすぎだ。
薬効体質を持つ人間が実在する以上こんなこと外では口が裂けても言えないが、もしナマエがその体質を持っていたとしたら嬉しさ以上に心配で心配で片時も離れられないだろう。

「……だって孝太郎さん、その子の髪とか唾液とか採取するんでしょ」
「……」
「するんでしょ」
「……まあ、否定はしない」

ナマエの気持ちを思うとやや苦しくなってくる。
確かに俺だっていくら仕事とはいえ、たとえ彼女の夢だったとしても、ナマエが嬉々として他の男の髪や唾液を採取していたら嫌な気分のひとつやふたつなるだろう。間違いない、俺は不機嫌になる。
いっそ俺が薬効体質になれたら。あるいは俺が代わりに採取するから黙って見てろと言えたら。そう思うに違いない。

「わかってますよ、それが仕事だって。孝太郎さんの夢だし。孝太郎さんは悪くないです。でも嫉妬しちゃうからモヤモヤしてました」
「ごめん」
「いえ、本当に孝太郎さんが謝ることじゃないんです。理解すべきだってわかってます」
「うん」
「どうしようもないからモヤモヤしちゃって。それに最近忙しそうだし。こうやって抱きしめてくれることもなかったし。一緒に寝られないし」

ああ、やはり俺のせいだったか。
ナマエが抱えてている不安に気づけた今、俺の取っていた行動のまずさを理解して申し訳無さが渦を巻く。謝ってどうにかなる問題でもないのが歯がゆい。

「ナマエ、薬効体質は確かに俺にとってとても大事な存在だけど」
「はい」
「でも、愛しいDNAは世界中でキミのものだけだよ」
「普通なのに?」
「DNAは人それぞれ違うことくらい、キミだって知ってるだろ? キミは乾燥しやすいから保湿を重点的に行ったほうがいいし、皮下脂肪型肥満だからこの辺がむちむちしやすい」
「ちょっと」

抱き心地の良い腹部や太ももの辺りを触ると、ナマエは腕の中でもぞもぞと向きを変えてこちらを向いた。

「悪口ですか」
「違う、キミのDNAの話だ。全部愛してるよ」
「レッドカードですよ」
「なんの話だ? 俺はキミのDNAの全てが愛しいし、俺以外の研究者にキミのデータひとつだって渡したくない」
「だから、反則だって言ってるんです!!」
「痛い」

ごん、となかなか派手な音がして、ナマエの小さな額が俺の胸をどつく。すぐ頭突きする所だってかわいいし、訊けばこうして素直に不満を教えてくれるところも好きだ。

「急に王子様みたいなこと言わないでください」
「俺はいつだってキミの王子様でいたい」
「そういうところですよ、孝太郎さん」
「はは、なんのことか」
「わざとですよね」

どうかな、ととぼけてナマエにキスをすれば、ナマエもそれに応えるように薄く唇を開いた。覆い被さって角度を変えながら何度も味わう。久しぶりの感覚に一瞬で欲望が滾った。
俺の両腕の間から見上げてくるナマエが素直に愛しくて、誰にも渡したくない。見せたくないし、閉じ込めたいし、俺のものだけでいて欲しい。
キミもそんな風に思ってくれているのかな。

「かわいいな」
「恥ずかしいです」
「照れるキミも好きだよ」

現実はなかなか厳しくて、俺やナマエの希望のすべてを叶えることはとても難しいけれど、せめて今だけはお互いだけを見ていたい。
そう願いながら、もう一度キスを贈った。

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