あー、やってしまった。
昨日コインランドリーに行くついでに蒼ちゃんの洗濯物も回してあげたのに、Tシャツが一枚ほど私のものに紛れ込んでいた。
……返しに行くか。面倒くさいけど。夜だけど、さすがにまだ起きているはずだ。20時前だし。
私の部屋とまったく同じ見た目の蒼ちゃんの部屋の扉をノックすると、すぐに顔を出してくれた。
「ごめん、これ私のに入ってた」
「ん、ああ、わざわざサンキュ」
別に見るつもりはなかったけど、なんとなしに視線を泳がせた先に缶ビールとスナック菓子が目に入る。一人で飲むとか水臭くないんじゃないの、今更だし、せっかく下宿なんだし。って言っても下宿生は蒼ちゃんと私しかいないけどさ。
なんて考えていると、早く帰れとでも言いたげな顔をしている蒼ちゃんと目が合った。
「なんで一人で飲んでるの」
「なんで、って…… 花火」
「花火?」
「……とりあえず入れば」
お言葉に甘えて。蒼ちゃんの部屋に入るのは2度目だけど、相変わらず本しか無い。書生かよとつっこみたくなるような殺伐とした部屋だ。
たった一枚の座布団の上に座っていいのかどうか迷って、座布団の前に積み上げられた本を見てそこに座るのはやめた。クッションすらないカーペットだけを敷いた床に座る。
「音聞こえるだろ、花火」
「……ああ、今日河川敷の花火大会じゃん!」
「俺の部屋から少し見える」
蒼ちゃんは窓際に立って外を眺めていた。確かに蒼ちゃんの広い背中越しには花火らしき小さな火花が散っている。
あんなに小さな花火を見ながら晩酌していたのかと思うと、風流にもほどがあるだろとつっこみたくなった。
「すっごい遠く」
あまりの小ささに思わず立ち上がって私も窓際に寄れば、蒼ちゃんはどこからともなく缶ビールを取り出して私によこした。
「ん」
「やだ気が利くねえ、お兄さん」
「まあ、せっかくだし」
「乾杯」
プルタブを引っ張ると炭酸が抜ける。その音を合図に蒼ちゃんが飲みかけの缶ビールを傾け、カシャンという音とともに薄い金属同士がぶつかった。
それにしても花火を見るなんて何年ぶりだろうか。学生の時は大型のお祭りに二夜連続で繰り出したりして、随分元気だったような。就職してからはめっきりそんなこともなくなって。そもそも優雅に花火を楽しめるような相手もいなくて。
こんなに穏やかな時間を過ごせるようになったのは爽風荘(ここ)に来てからだった。
帰宅すればサエコさんの美味しいごはんができていて、蒼ちゃんと三人で食卓を囲んでわいわい…… はありえないけど、それなりに楽しく食事して、翌朝もサエコさんのごはんの香りに起こされる。
一人暮らしをして以来荒みきっていた心が癒えたのはサエコさんと蒼ちゃんのおかげだ。
「おっ、お前なに泣いて」
「蒼ちゃんだいすき……」
「えっ」
「サエコさんも好き……」
「なっ、……そうかよ」
あまりにも小さい花火と中途半端にぬるいビールと手の届かないスナック菓子と、隣りにいるのは蒼ちゃんという、なにもかもが全然特別ではないあまりにも普通な状況に感極まった。
普通ってこんなに愛しいものだっただろうか。
なんかすごいディナーとか、なんかすごい夜景とか、そういうものとはまた違う感動がある気がするのだ。
「蒼ちゃんどこにも行かないでね」
「え」
「ずっと一緒に住もう」
「は?」
「私が二代目サエコになるから」
「……」
蒼ちゃんは無言で私を見つめると、そのまま何も言わずにふいと視線を窓の外に向けてしまった。
薄暗い部屋の中で見る蒼ちゃんはいつもより男前に見える。アルコールのせいか少し火照って見えるのもなんだか目に毒だ。
何を考えているかわからない横顔をずっと見ているのは妙に気まずくて、焦って言葉を探した。
「蒼ちゃん着物似合いそう」
「……お前もな」
「じゃあ今度浴衣着てお祭り行こうよ」
「いいけど」
え、いいんだ。ちょっと意外で不覚にも若干ときめいてしまった。
その瞬間、辺りを照らすくらいのまばゆい光が夜空に広がって、まさに大輪の花が咲いた。それから少し遅れてドン、と大きな音がする。
「おおー、感動」
「だろ、最後はちゃんと見えるんだ」
「すごーい!」
語彙力が皆無になっていると、少しそわそわした蒼ちゃんが私の腕を引いて私の身体を窓辺と蒼ちゃんの身体の隙間に引き込んだ。
突然背後から抱きしめられるような姿勢になって驚いている私をよそに、蒼ちゃんは「こっちの方がよく見えるから」と呟いた。
「もう一回、でかいの上がる」
いくつか小さな花火が上がったあと、蒼ちゃんの言う「でかいの」が夜空に広がり、私はまた泣きそうになるのを必死でこらえていた。
こんなにも愛しい毎日が終わってしまう日のことなんか、今は考えたくもないのに。