上京したは良いものの、私には何もなかった。
一応大学は卒業したけれどせいぜい『地元では有名』レベルの学歴と、資格といえば普通運転免許くらいしかなかった私を、なぜか気に入ってくれた所長が拾ってくれなければ、私は今頃地元にとんぼ返りして腐っていただろう。
「うちのミルキーちゃんを! どうかミルキーちゃんを!!」
「お話はわかりました、どうか落ち着いて」
「はい、すみません……」
取り乱した年配の女性は空っぽのペット用キャリーバッグを見せつけるように所長に訴えた。
テーブルの上には何枚もの写真が並び、いずれも白いマルチーズが映っていた。2日前に突然姿を消したペットの犬の捜索依頼。
錯乱した依頼主は要領を得ない説明を続けていたけれど、所長は真剣に彼女の話に耳を傾けながら熱心にメモを取った。最終的に「お金に糸目は付けない」と言う女性の申し出に、所長は固い握手を結ぶ。
「私共が全力でミルキーちゃんの捜索を致します」
「よろしくお願いします」
所長に話し続けるうちにすっかり落ち着きを取り戻した依頼者が去ると、もう2時間も経過していて時計の針は午後0時になろうとしていた。
「ふー、絶対見つけてあげなくちゃね」
「そうですね」
私がこの事務所で働き始めて最初に見た依頼者は、ちょうど彼女のようにペット失踪で取り乱していた。その取り乱しっぷりはどう見ても話が通じるようには見えず、正直「面倒くさそうな依頼者だ」などと思ったものだ。
その時も所長は真剣に依頼者の話を聞いていて、その横顔がとても美しくてかっこよくて、私はすぐに恋に落ちた。
今だって所長は心を痛めたように苦々しい表情で写真を見つめている。
何もない私を拾ってくれて、こんなに愛情深くて、しかも顔がいい。めちゃくちゃいい。嫌味のない整った顔立ちはまさに『美形』という感じで、完成された作品のようだ。好きにならない要素がない。
所長はとってもとっても素敵な人なのだ。
「次の打ち合わせまで3時間あるわ、久々に九段下のカフェでランチにしましょう!」
「はい」
「あ~、今日は青山に会えるかしら」
「会えるといいですね」
――私には最初から望みがない。
好きな人を思う所長の顔はさっきまでキリッとしていた彼とはまるで別人に見える。傍目にもわかるほどうきうきしちゃって、口元は緩みっぱなし。
別に会う約束をしているでもない、偶然会えるかどうかもわからないそんな小さな期待にこんなに舞い上がる彼は『乙女』だった。
「用意できましたよ」
「今日は何にしようかしらー」
事務所を閉める準備をして声を掛けると、所長は車のキーを持ってドアを開けて私を先に外に出す。そして所長の先導によって彼の車に乗り込み、彼の運転で移動する。動作も行動もいちいち優しくて、かっこよくて、泣きそうになる。
特別な意味なんか無いのは重々承知しているけれど、彼が“彼”を思うように、私も彼が恋しいのだ。
私はあなたの素敵な所をたくさん知っています。
結ばれることのない思いをどう処理していいのか、私は未だに答えが出せなかった。