私は生まれる家を間違えた。
資産家の家系に生まれた父と、メディア露出の多いバイオリニストの母。幼い頃から社交の場に出ることも多かった。その度に嫌だった。
キラキラしていて、華やかで、みんな綺麗だった。私は違う。背の高い父、美人の母、なのに私は至って普通の褒めるところのない子供だった。今でも特別に優れているところなんか、ひとつも無い。
「本当に美しいわ、神楽さん」
「声かけちゃえば?」
「どうしよう、行っちゃう?」
「私も槙くんに声かけてみるから、あなたは神楽さんに行ってみない? 今日が最後のチャンスよ」
そう楽しそうに話す女子たちが扉の外に足を踏み出せば、私は放課後の教室にひとりぼっちになった。
たかが高校卒業イベントのプロム。しかし、されど、高校卒業イベントのプロムだった。比較的裕福な家庭に育った生徒ばかりが集まる私立高校。同級生の女子生徒たちはみんな色めき立って美容にお金と時間を費やし、相応に美しかった。
私だって美しくなりたいと思ったことはある。でも、私にそこまでする価値はあるのだろうか?
そう考えれば考えるほどに何をやるにも気が引けて、私が高校生活で唯一頑張ったと言えるものが勉強だった。けど、それだって学年1位になれたわけではない。私には光る所がなかった。
机の端に置いてある女子全員に配られた淡いブルーのムスカリのコサージュが目に入るたびに、チクチクと心が痛む。
このコサージュを今日中に男子と交換しなければならない。ペアを組む男子とだ。プロムの。ダンスの相手だ。いくら私立とはいえ頭がおかしいんじゃないか。日本の高校でプロムなんか。まだ合格発表が終わっていない生徒もいるのに、男女でペアになって踊っている場合か。
……なんて、家柄はともかくスクールカーストで言えば最底辺の私が言えた事ではない。
明日までに交換できなかった男女は、ホールの入口で男子と女子で別々に整列させられて強制的に前から順番でペアを組まされることになる。不幸だ。私も、私のペアになる名も顔も知らぬ男子も。その列に並ぶ全員が、不幸だ。
「変な顔」
「……生まれつきだから」
私に声を掛ける生徒なんて1人か2人しかいない。神楽くんか慶太くんのどちらか。いわゆる幼馴染というやつだ。鉛筆書きを練り消しで擦ったみたいな私と、宝石が二つ。幼馴染なんてひどくおこがましいと思う。彼らにとっては腐れ縁と言う方が正しいかも知れない。
それなのに幼稚舎の頃からなぜかやたらと目にかけてくれる、すごくいい人たちなのだ。
教室の窓際の一番うしろの席で無言でうつむく女なんてどう考えても事故物件なのに、今日もこうして声を掛けてくれた。意地悪だけど。
それでも本心では「声をかけてくれてありがとう」って思うのに、ゴミが宝石に近づいてはいけないという自制心からそっけない言葉が口をついた。
「それ、誰と交換するつもり」
「それとは」
「コサージュに決まってるでしょ。わかるよね、それくらい、普通」
「はあ」
神楽くんが私にプロムの話題なんか振ると思わないでしょ。普通。
プラスチックでできた円柱型のケースに収まったコサージュはいつも居心地悪そうに見えた。
「で、誰と交換するの」
「誰とも」
「はあ? 誰ともわからない男が相手でいいわけ?」
「……相手の人に申し訳ないとは思う」
半分本当だけど、半分ウソをついた。誰ともわからない男が相手で良いわけがない。よくわからない人と手と手を取り合うなんて普通に不愉快だし、相手にも失礼だし。それに。
……本当は、今回だって神楽くんが面倒見てくれればいいのに。って思っている。
当然そんなおこがましい要求なんかできるわけもなし、わがままな自分を押し込めてただうつむいた。
「じゃあ僕と交換して」
「は?」
「それちょうだい、これあげる」
「え、ちょ、無理」
神楽くんは信じられない要求を口にすると、手に持っていた白いラナンキュラスのコサージュを私の机の真ん中に置いて、端に寄せてあったムスカリのコサージュに手をかけた。
私は咄嗟にムスカリが入ったケースの蓋を押さえて、それが神楽くんの手に渡るのを阻止してしまった。
信じられない。私が神楽くんとペアなんて、事件になってしまう。
「は? 無理って何」
「む、無理なものは無理……」
「誰だっていいんじゃないの」
「いや、それは、えっと、神楽くんに申し訳ないし」
「僕はうるさい女と一緒になんか踊りたくないの。……君はちょうどいいかもって思ったんだけど。それとも何、僕のことが嫌なわけ?」
「えっと」
そういう問題ではないのだ。神楽くんほどの人が自分の価値を知らないはずがない。それなのにおかしいだろう。私なんて。何かの罠だろうか。
「でも」
「本当君って強情だよね。じゃあもう一回だけ聞いてあげるから嫌なら嫌って言えば? これとそれ、交換して」
「嫌、ではない、んですけど」
嫌なんて言ったらバチが当たる。
今この瞬間から身の程知らずの高慢地味女と地味な事故物件女に振られた男になってしまうのは、一番避けるべきであろう。
神楽くんは私を強情と言うけれど、神楽くんだって随分なものだ。
「じゃあ何」
「うーんと……」
「…………はあ」
素直に「はい」なんて言えるわけがない。隠したままのわがままな自分は今すぐにでも「ありがとう」と言って笑いたいのに。
素直に言えたら、きっとかわいいんだろうな。私には似合わない言葉だ。かわいい、なんて。
私がモヤモヤと思案していると、神楽くんは盛大なため息をついてから突然私の側に跪き、多少強引に私の手を引っ掴む。ここだけを切り取れば王子様の求婚シーンにも見えたことだろう。
「僕と踊ってくれませんか」
「え」
「……ちょっと。ここまでさせてこれ以上何を望むつもり?」
「ご、ごめんなさい。わかり、ました」
「じゃあ、ほら、君からちょうだい、それ」
僕は手がふさがってるからと言わんばかりに両手で私の右手を包むから、恐る恐る左手でムスカリのコサージュを取って神楽くんに差し出す。
本当にこんなことがあっていいのだろうか。当日は大変なことにならないだろうか。
いつも意地悪な顔をしている神楽くんは、やっぱり少し意地悪げに、だけど優しく微笑んで「ありがと」と言った。
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「変な顔」
亜貴くんの声にハッと意識を取り戻す。亜貴くんは実家の私の部屋の入口のドアにもたれるようにして訝しげな顔で私を見ていた。
それもそうだ、クローゼットの前で大荷物を広げてうつむいて固まる私はさぞ異様だったろう。
「早く荷造り進めたら。言っとくけど今日はそんなにたくさん持って帰れないからね」
「うん、ごめん。これ見てたら思い出しちゃって」
「そんなものまだ持ってたの? 君の思い出少なすぎ」
クローゼットから出てきたラナンキュラスのコサージュは、あの日から比べると少し黄ばんで見える。だけどこれは私と亜貴くんが歩んできた時間の長さだと思うと、この黄ばみすら愛おしく思えるのだ。
あの頃の私は随分と後ろ向きで、亜貴くんの手を煩わせていただろうな。今こうして前を向いて隣を歩けるようになったのも、私に足りないものを少しずつ分けてくれた亜貴くんが居るからに違いない。
ぶつ切りの会話も、憎まれ口の叩き合いも、それはそれで楽しかったけれど。
「持っていこうかな」
「はあ? そんなもの今日は要らないでしょ、いつでも帰って来られるんだし。必要なものだけにしてよ」
「でも」
思い返せばこのコサージュがなければ私は神楽くんのことをずっと“宝石”だと思っていただろう。そういう意味ではこのコサージュは私にとって、私たちにとって、それなりに思い出深い象徴なのだ。
そんな風に考えながらラナンキュラスに後ろ髪を引かれていると、亜貴くんが私の所までやってきて目線の高さを揃えてこちらを見つめた。
「……はあー、明日のドレス用のコサージュ、モチーフそれにしたんだけど? 僕が新しく作った方で、満足できない?」
「できる、ありがと、ふふふ、あははは」
「ちょっと何笑ってんの、気持ち悪い」
「亜貴くんって、昔から優しいなって思って」
「はあ? なにそれ」
まるであの日のようなシチュエーションを、結婚式の前日に繰り返すなんて。きっと無自覚だろうけれど、こんな粋な演出はない。
亜貴くんの暖かさはあの日と変わらずにずっと私の側にあるんだと思ったら、目の前の彼がたまらなく愛しく思えた。
「明日、楽しみにしてます」
「楽しんでる場合じゃないよ。やることたくさんあるんだから、しっかりしてよね」
「うん、頑張る」
「ほら、早く準備して。帰るよ」
あの日はあれ以上近づくことはなかったけれど、今は唇を合わせられるようになった。
甘い酸っぱい思い出はまたひとつ思い出を重ねて、こうして甘やかな思い出に生まれ変わっていくのだ。
あなたが隣にいる限り。