30万打|年下夢主の初恋は服部 耀さんに見抜かれている

彼女は俺に嘘をついている。
それは小さな嘘の積み重ねだけれど、集約すれば彼女にとって重要であるらしいたったひとつの嘘をついていることになる。

「ん、っ」
「……はい、充電どうも」
「っ、職場ですよ」
「知ってるよ」

扉を隔てた向こう側には同僚が行き交う気配があった。だけどその誰もがこの会議室に用事はなく、俺達に気づくことなく通り過ぎていく。照明もつけずに扉を背にして座り込んでいる俺達には気づきようもないかも知れないが。
口内を犯すように舐っていた舌を抜いて唇を舐めれば、泣きそうな顔をしたナマエが膝の間で俺にしがみついていた。

「ナマエには刺激が強かった?」
「全然余裕ですけど。刺激とか、そういう問題じゃないです」

彼女はまたひとつ、小さな嘘を重ねようとしている。
挑発するように顔色を伺ってみると、俺のか自分のかもわからない唾液に濡れる口をスーツの袖口で拭った。こういうことをしている時のナマエは実年齢よりも随分と幼く見える。
特別に若い女が好きというわけではないけれど、虚勢を張って「余裕」だと言うナマエのことはかわいいと思う。
抱きしめながら背中を撫でると、身を固くしてびくんと震えた。
初めはこういう行為が嫌なのだと思った。あとは場所の問題だとか。だけど虚勢を張るわりには素直に俺の言うことを聞くし、ここから逃げるでもなく捕らえられたままでいる。嫌そう、というよりは、ただ戸惑っているようなのだ。

「明日休みでしょ」
「え、はい」
「俺も明日休みなんだけど」
「は、はい」

この次に俺がどんな話題を出すかは大体想像がつくようで、ナマエの身体は更にガチガチに固まる。
というのも、この手の提案をするのは初めてではない。付き合いだして数ヶ月、苦しい言い訳を並べ立てられて既に3度は断られていた。忙しい日々の中で一晩一緒に過ごせる貴重な時間なのにねえ。だけど誘うだけでこんなにガチガチになるようじゃ、その先なんて到底想像もできないか。
そして断られるのがわかっていて誘う俺も大概なものだと思いつつ、頑張って言い訳を考えているナマエがおかしくて何度も誘ってしまうのだ。

「ナマエの家行っていい? 俺んち来てもいいけど」
「えっと、いえ、あーっと、今日の夜は習い事があるので!! 女磨きに忙しいんですよね」

初耳すぎて笑いそうになるのを堪える。仮にも刑事部勤務の警察官がそんなわかりやすい嘘なんてつくものかね。それも捜査一課長相手に。

「俺は習い事の後でもいいけど」
「いや、そのあとは習い事のみんなで反省会なので!」
「っく、……そう、残念」

噛み殺した笑いが少し漏れたけど、ナマエは気づくこともなくひたすら固くなっていた。俺の胸に預けられたナマエの胸の奥にある心臓が早鐘を打つのがわかり、落ち着かせるように背中を撫でてやった。いつまで経っても収まる様子のない動悸がまた癖になるのだ。
これで女性警官から恋愛相談をよく受けている(自称)のだから、なおのこと面白い話だろう。本人が大真面目にそうに言うので、俺の本心は置いといてそういうことになっている。

「残念です」
「じゃあまたいつか」

素直に引き下がってやると、ナマエはホッとしたように固まった身体を緩めてようやく目を合わせてくれた。
焦りの色が隠しきれていないけれど、わざわざそれを指摘したり揶揄したりはしない。普段通りの表情でじっと見つめ返してやれば、徐々に調子を取り戻したナマエが取り繕うように咳払いする。

「明日」
「ん?」
「明日は空いているので、ランチでも一緒にどうですか」
「あー、いいよ。じゃあまた明日」
「はい」

俺が盛りのついた猿じゃなくてよかった。枯れているわけじゃないけど、嫌がる相手を取って食うほど飢えてもいない。
おそらく(と言うよりほぼ確信的だが)男性経験の浅い、あるいは無い、そういう彼女と付き合うのなら膜ごと愛してやればいいだけの話だ。さてそんな芸当が10年前にできたかと言われれば、どうだろうねえ。もちろん君に勃たないわけじゃないから。
年齢差という意味では俺にとって君は少しもったいないと思わないでもないけれど、俺と君が出会ってこうして平和に付き合っていけるのはその年齢差のおかげと考えれば、この差すら愛しいものと思えるものだ。

「ま、そのうち夜も一緒にね」
「は、はい、当然です。付き合ってるんだから。たまたま都合が悪いだけで」

いつものようにまたひとつ小さな嘘を重ねる彼女が余裕ぶって笑う。
俺にとってはどうでもいいような小さな嘘も、彼女にとっては重大な秘密らしい。
そこまでは推察できたけれど、そうまでして隠す理由については定かではない。経験不足を恥じているのか、肉体にコンプレックスでも抱えているのか、はたまた幻滅されるとでも考えているのか。あるいは暗い過去でもあるか。
俺の頭も少々どうかしてるなとは思いつつも、思いつく限りのどの理由もただただ「愛すべき」の一言に尽きるのだ。

「それじゃ、そろそろ戻るかね」
「はっ、そうだ、そうですよ、私、耀さん起こしに来ただけなのに」
「じゃあもう一回起こして」
「起きてるじゃないですか!」
「……」
「あっ、ずるい、嘘寝でしょ、ちょっと!」

俺の胸辺りのシャツを掴んで揺さぶられるのも無視してたぬき寝入りしていると、ぺちぺちと額や首を叩かれた。そんなことで起きてもらえると思っているあたり、ねえ。
片目をチラリと開けば戸惑いと焦りが滲んだ瞳とかち合って、ナマエは再び「ちょっと!」と声を上げた。
仕方ないからヒントをあげよう。ナマエがこちらを見ているのを確認してから、軽く顎を上げる。さすがに気づいたらしいナマエは一気に耳まで赤くなると、恐る恐るといった様子で俺の唇にその唇を重ねた。
あー、やだやだ、かわいいね。
腰をぐっと抱くと驚いたナマエは小さな悲鳴を上げる。

「ひゃ」
「おはよ」
「起きてたくせに」
「いや? 寝てたけど?」
「嘘つき!」

君の嘘に比べれば、俺の嘘なんてぜーんぜん大したことないでしょう。
断罪するつもりはないけど、その嘘ごと愛される覚悟はあるのかね。まあじっくり付き合ってあげましょう。
名残惜しさを唇に託してもう一度だけキスをして、呆然と座っているナマエの手を引いた。この扉の向こうに出た時にはまた表の顔に戻らなきゃ。戻れるの? ああ、君は嘘が上手いから、大丈夫か。
なんて意地悪い事を考えながら、じゃあね、と言って一足先に会議室を後にした。

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