どういうことなのか説明して欲しい。そう言っても「ごめんねぇ」と大して悪気もなさそうに謝るだけだった。
黒髪に黒いスーツを着込んでいるのにギラギラした印象が隠しきれない彼は、両手を合わせて謝るようなジェスチャーをしてから私に背を向けて六本木の街に消えて行く。
「なんで……」
私は今、懇意にしている“S”をまた一人失った。
『また』というのは、先週も一人から「もう辞めたい」と言われたばかりなのだ。ついに私のSは残す所一人になってしまった。
これでも一応それなりに苦労して関係を築いてきたSだっただけに、断られた理由くらい知りたかったのに。さっきのホストくんも先週の皇居ランおじさんも頑なに理由を言わないのだ。
強いて言うなら二人とも「潮時」と言っていたくらい。何が「潮時」なのかさっぱりである。今までと何も変わらないのに。
一人で六本木の街に取り残されていると、ホストに会うシチュエーションに合わせるためにわざわざ着替えてきたOL風のひらひらしたスカートスーツのポケットの中でスマホのバイブレーションを感じた。
取り出して見れば画面には桧山さんからのメッセージ。いつものバーへの呼び出しだった。
何か調査依頼をしていたことがあったか。いや、今は特に何もないはず。
桧山さんからコンタクトを取ってくるなんて珍しいなと思いつつ、呼び出しに応じるメッセージを打つとすぐにタクシーを呼んでバーに向かった。
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桧山さんはノンアルコールのカクテルの種類にも詳しい。私が仕事中…… というか、仕事の話をする時や立て込んでいる時はいつも必ず気を遣ってノンアルコールのカクテルを頼んでくれる。
毎回「桧山さんのおすすめ」をお願いしているけれど、外れたことは一度もない。
「今日の仕事は?」
「え、はい、一応終わってます」
「それはよかった。ところでアルコールが飲めないわけではないだろう?」
「もちろん」
あれ。なんだこの会話。桧山さんが私のSになってくれてから数ヶ月経とうかという今、初めてする会話に少し違和感を覚える。
桧山さんはバーテンダーに2杯のカクテルをオーダーすると、わりと早めに提供されてすぐに乾杯となった。乾杯って。有無を言わさぬ勢いでお酒を飲むことになっている。
今日って飲んで大丈夫だったっけ?
まあ、でも、桧山さんのことだし酔い潰すくらい強いものはオーダーしていないだろう。運転する予定もないし、どっちにしろ1杯くらいなら大丈夫だ。
「いただきます」
「ああ、乾杯」
「乾杯」
何の目的で呼び出されたかもわからないままに乾杯してグラスのふちに唇をつける。甘すぎないスッキリとした味わいは、精神的にも体力的にも疲弊気味の私にはちょうどいい爽快感だった。
桧山さんは前を向いたまま特に会話をするというわけでもなく、ますます真意が掴めない。無言でいるのも気まずくて、何か話題を探す。
「これ美味しいです。気分が晴れるような感じで」
「何か嫌な事でもあったのか」
「こういう仕事だと何かあっても外に吐き出せないので、美味しいお酒が飲めるとそれだけで嬉しいんです」
そういえばこのお酒いくらなのだろうか。何度自分の分は支払うといっても桧山さんはそれを許してくれなかった。今回も多分そうだ。きっと高いんだろう。チラチラと視界に入るインテリアや、窓の向こうの絶景とも言える夜景。そもそもこのバーが入っているホテル自体が高級に分類される。
……うん、桧山さんに呼び出されでもしなければ絶対に来ない。
私にとってはある意味この場所は『非日常』で、気分転換に繋がっているのは確かだった。
「そうか、よかった。また誘ってもいいだろうか」
「私で良ければ。お酒となるとなかなかお付き合いできないかも知れませんが」
「仕事ならいいのか?」
「それはもちろんですけど…… あまり桧山さんにお願いするのもどうかなと」
桧山さんはとても協力的だ。本業、がどれなのかわからないけど、それはどれかわからないくらいたくさんの仕事を抱えているということで。それほど忙しいというにも関わらず、私が情報提供を要請すればすぐに応じてくれる。
いくら情報屋業をしていたってさすがにこの世のすべてを知っているわけではあるまい、きっと自分の仕事を後回しにして私の依頼を優先してくれていることはすぐにわかった。
そこまで優先してくれる人だからこそ、安易に依頼してはいけないと思う。
「俺の仕事が不満か?」
「滅相もない、そんなこと一度も思ったことないですよ! お仕事も忙しいのにすぐに応えて下さるから申し訳なくて」
「しかしそれで他のやつに依頼していてはお前の手間がかかるだろう」
「あー、あはは、それはそうですね、否定はしません」
確かにSを何人もはしごするのは骨が折れるし、聞けば解決するようなことを足で賄うのはしんどい時もある。
それをやりがいと捉えるか効率が悪いと捉えるか、そういう話なんだろうなぁ。
なんてぼんやりと考える。私にはどっちが良いかの答えは出せなかった。
「提案があるのだが」
「はい」
「情報提供者を俺に絞らないか」
「はい!?」
桧山さんの突然の申し出に驚きすぎて椅子から落ちそうになった。
桧山さんを見てもとても冗談を言っている風ではなく、至って真面目な顔をしてこちらを見ている。
そんな綺麗な顔に見つめられて、目が逸らせるわけないじゃないですか……
「お前の依頼は最優先にする」
「そんな、申し訳ないです」
「いや、お前がどこまでの情報を握っているのかこちらも把握したいし、俺は無理な仕事はしない主義だ。それに俺一人に絞ってもらった方がこちらとしても有り難い」
なんだか丸め込まれている気がするけど、そこに丸め込んだ所で桧山さんになんのメリットがあるのかまるで見当がつかない。
桧山さんは説得するように私の手を取って力を込めた。
いや、いやいや、距離が近い。綺麗な顔が近い。桧山さんの手はとても温かかった。握られた手を見つめながら深呼吸する。
ようやく思考が回るようになってきて、改めて考えてみればもう既に私の手元に残っているSは桧山さんしかいないことに気づいた。
「実は……」
問題のない範囲で現状を話してみると、桧山さんは「都合がいいな」と言って満足そうに笑った。
そこになんとなく小さな引っ掛かりのようなものを覚えたのだけど、その正体はわからない。
「それなら俺だけにしろ」
「他の情報提供者を作るなということですか」
「必要ないだろ」
「……まあ、はい」
「お前からの連絡はすぐに応じるつもりだ」
「ありがとうございます?」
あまりの好待遇につい疑問系でお礼をしてしまった。そこまで融通してもらえるなんて、ものすごい裏があったりしないだろうか。
「他のやつに頼っていた分も遠慮なく俺に任せてくれ」
「はい」
「効率化すればプライベートの時間が増えるだろう」
「あ…… そうですね」
もしかして私の事を気にしてそんなことを申し出てくれたのだろうか。
思い上がりかも知れないけど、もしそうだったらすかさず変な疑いをかけた自分が恥ずかしい。
そしてそれと同時に素直に嬉しいと感じてしまう私がいた。確かに最近は寝る暇もないほど忙しかったし、そんな私を桧山さんのような人が気にかけてくれていたなんて。
肩にのしかかった重圧が少し軽くなる。
「ありがとうございます、なんかすみません」
「その分プライベートの時間を俺にくれないか。またこうして会いたい」
信じられない提案第二弾にぎょっとして桧山さんの真意を探るように表情を伺うと、驚くほどに優しく、そして嬉しそうに笑っていた。
油断してはいけないのは重々承知だ。
「はい」
だけど細められた優しい瞳に捉えられてしまっては、もうそれを見つめ返すだけ。逃げる術を失った私は湧き上がる感情に素直に従って、頷くしかなかった。