一条|綻び

あまりの惨劇に軽く意識が遠のいた。
隣で「だから言ったんだ」とため息を吐いた一条の顔を見て、つい「まじかよ」と言ってしまった。
出会ってこの方、私の前では完璧を装っていた一条のキャラクターが崩壊した瞬間だった。
チャラい見た目のわりに意外としっかりしているというか、上品な態度で知的な感じもした。
仕事が忙しくてなかなか時間が取れない所を上手にやりくりして私と会ってくれる。
そんな所も素敵だと思った。
いつでもエスコートしてくれて、甘い言葉を恥ずかしげもなく贈ってくれて、それはそれはまるで私の王子様だった。
元同僚という間柄、彼のことを「一条さん」なんていうふうに可愛らしく呼ぶことを躊躇った私を叱責したいほどに。

「大体少しは想像もつきそうなものだが」

一条は、さも私が悪いと言わんばかりの態度でやれやれとか首を振りながらソファに腰掛けた。
その態度たるや王子様の影などつゆほどもなく、出会ったばかりの頃のいけ好かないホスト野郎に戻ってしまったかのようだった。
たしかに一条の部屋に行きたいと希望し、しかもまあまあ強引にここに連れさせたのは私だ。
たしかに一条は「片付いてないしそういう部屋じゃない」と言っていた。
そういう部屋ってなんだよ、と思ったけれど今なら意味がわかる。
散乱するクリーニング屋のビニールカバーやワイヤーハンガー、コンビニ袋。
ギャンブル雑誌の山がいくつも積み上がって倒壊寸前。
空になったワインボトルだけが、床にきれいに並べられていた。
この部屋はとてもくつろぐような場所ではない。

「なんで私を入れる気になったの……」
「お前が強引で面倒くさいからだろ」
「面倒くさい…!」
「あーあ、茶番も終わりだな」

一条はネクタイを外しながらニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべた。
しかしその一条が座っているソファにはクリーニング屋から返ってきたばかりと思わしきシャツが山積みになっているし、ビニールカバーも無造作にちらばっていてとてもニヤニヤのそれが格好つくような状況ではない。
私は今どんな顔をしているのだろう。
一条に期待を裏切られた?
いや、そんなふうには思っていない。
むしろなんか、こう、ちょっとポカポカするような感じ。
一緒に研修を受けていた頃、会長に向けたあのどす黒い表情を見た時に感じたような気持ち。
完璧に見える一条の人間らしい一面が垣間見えた瞬間。
なんかとてつもなく一条という人間がかわいくて、

「この部屋は寝れればいいような場所だ」

私が昔のことを思い出していると、一条が真面目な顔をして呟いた。
ため息をつきながら、ビニールカバーをぐしゃぐしゃと丸める。

「俺だってこんな生活望んでしてるわけじゃない」
「……」
「小綺麗なマンションにエスコートされて、生活感のない部屋で乾杯がよかったか?」

睨むような、嘲笑うような、よくわからないけどあまり良くない表情をしていた。
24時間営業の裏カジノの店長か…
私だって一応元は帝愛社員だったんだから、その実情を考えれば今の一条の状況だってわからないこともなかった。
ましてやあの一条だ。上を目指すための努力を欠かすことなど有り得ない。一条にとって今は通過点にすぎない。
言い訳でもなんでもなく、事実として時間が足りないのだ。
私とのデートの時間、どうやって作ってたんだろう。

「一条」
「残念だったな、お前の望む完璧な男じゃなくて」
「一条、好き」
「マンションですらな、……は? 何?」

腰のあたりに飛びついて抱きしめると、心底驚いたような顔の一条と目が合った。訝しげな眼差しに微笑み返す。
私生活はボロボロ。寝に帰るだけのごく普通のアパート。
ベッドや時計、ワイン、スーツ、あちこちに高級品がぽんぽん紛れているのが一条らしい。
店と自宅との往復の狭間で捻出された私との時間は今までどれほどあっただろうか。
仕事中に私のこと考えたりしてたのかな。
彼の優先順位の中に私の存在がねじ込まれているのが嬉しくてたまらなかった。

「一条、一条は私の王子様だよ」
「どこがだよ、この部屋の真ん中でよくそんなこと言えるな」
「お願いがあるの」

未だに気味悪げに私を見ている一条の太ももに、甘えるように頭を預けた。
条件反射的に頭を撫でてくれる手の温もり。
私は彼に愛されている。

「なんだよ」
「一緒に住もう」
「……」
「一条におかえりなさいって言いたい」
「……」

しばらく続いた沈黙を不審に思って見上げてみると、一条は再び複雑な表情をして俯いていた。それを隠すように額に手を当てたりして、真意が見えない。
手で覆いきれない耳の先が、ほんのり赤く染まっている気がした。

「想定外」
「え?」
「その選択肢を考えていなかった、嵌められた気分だ」

何かを振り切るように首を振ると、一条の足の間に挟まっている私は容易く抱き上げられて横抱きで膝に乗せられた。
もうふたりとも結構いい歳なんだから、こんな少女漫画みたいなこと、なんて思った。
でも、こんな部屋を一瞬で花畑の背景に変える一条が好きだ。
彼の隣にいると、本当にお姫様になったような気になる。
そんなふうに彼が大切にしてくれるとわかる。
刺々しく閉ざされた砦のような一条が、惜しみなく愛を手向けてくれているのがわかる。

「いつ帰るかわからないような生活だぞ」
「待ってる」

指を絡ませるように手を繋ぐと、ぎゅ、と力が込められた。
一条が目を細めたのを合図に瞼を伏せると、啄むようなキスが降る。
だんだんと覆い被さるように体制を入れ替えられ、ソファのスプリングが軋んだ。
ガサガサガサガサ!

「……」
「……」

一条はうんざりした表情で私の上から退いた。
足元には例のシャツ山が雪崩たものが見事に散乱している。
一気に現実に引き戻された気分。
一条は悪い、と一言呟いてその山を片付けだした。

「ねえ、それ後じゃだめ?」
「場所だけでも作らせろよ」
「あっち、」

シャツを拾い集める一条の腕を引き、ベッドを指さす。

「急かすなよ、これから毎日一緒なんだろ?」

私の意図を汲んだ一条が悪そうに微笑むと、私はまた横抱きにされて、今度こそ本当にお姫様みたいだった。

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