メルル|木曜日

毎週決まった時間に現れるガラの悪いお客さんは、いつも右から二番目のカウンターに座る。

「いつもの」
「お好きですね」
「この歳になると飲み物は決まるんだ」
「そういうものですか」

ロックグラスに欠いた氷を入れてウィスキーを注ぐ。いくつかのナッツをざっと盛り合わせた小皿を添えて、彼の前に置いた。カウンターに置かれた代金とチップを預かってレジ替わりの小さな金庫にしまう。
私がこの店に勤務するようになって、初めて接客したのが彼だった。
体格も良いし、その時は何故か顔と腕に切り傷があって、最初はどう見てもヤバい客だと思った。正直今でも顔は怖いと思っている。
それがどういうわけか話してみると冗談も言うしよく笑うし、意外とチャーミングなのだ。当時まだ英語をうまく話せなかった私の言葉にも耳を傾けてくれて、今となっては本当に運が良かったとしか思えない。

「あら、雨ですか?」

薄暗い店内でよく見えないけれど、彼の首周りや肩の服の生地がポツポツと濃い色味に変色していた。
傘、似合わなそう。失礼なことを思いながらタオルを差し出す。

「ああ、いや、必要ない。大したことない、小雨だ」
「そういえば今夜結構降る予報でしたね」
「ついてねえな」

服を濡らしているくらいだもの、多分傘を持ってるわけではないのだろう。きっともうすぐ外は大雨になるはずだ。

「ここで雨宿りですね」
「そうだな」
「早くやむといいですけど」
「そうでもねえよ」
「そうですか?」

それからまもなくザアザアと雨粒が地面を叩く音が聞こえ始めた。店内まで聞こえるなんて、かなりの大雨なんだろう。
今日はもうお客さんも来ないだろうな。チラリとマスターの方を見ると、ため息をついてバックヤードに消えていった。

「このままやまなかったらどうします?」
「ハハ、そりゃ結構、こんな所でお前と一夜を共にしちまうな」
「やだもう、誤解されますよ」
「どんな?」

彼は私を見つめてニヤニヤと笑った。
私だって鈍くはない、彼がなんとなく私を意識しているのには気づいている。それがどういう意味かはわからないけれど。

「メルルさんは意地悪ですね」
「意地の悪い質問には意地の悪い答えで返さなきゃなんねえからな」

ふふんと鼻を鳴らしながら顎を触る指先に目を奪われる。
多分意識したのは私が先だ。だって慣れない仕事でいきなり優しい人に出会えて、それがその見た目とは裏腹に意外にも優しかったりして、変な話だけどちょっとした運命かと思ってしまったのだから仕方がない。
とは言え一応私は店員なわけだし、お客さんに恋するとか付き合うとか、なんだかあまりよくない気がする。せっかく良い店で雇ってもらえたというのに、クビになってしまうのは惜しい。
そしてメルルさんと店を天秤にかけているような気になって落ち込む。
というのを、最近毎週どころか毎晩のように繰り返している。

「しかしこんなに大雨なら出てこなきゃよかった」
「え」
「え?」
「いや」
「なんだよ、言えよ」

相変わらずニヤニヤしている彼を前に口をつぐんだ。
それじゃあ今週は会えなかったじゃないですか、なんて言えるわけがない。気持ち悪いと思われたら嫌だし。
下手したら親子でも通りそうなくらい年上の男性だ。
“意識している”と言ったって、娘か妹のように感じて目をかけてくれているだけかもしれない。
……ああ、かえって素直に言えばよかった。素直に残念そうに伝えられたら、私があなたのことを男性として見ていますなどといういやらしさだってなかったはずだ。

「本当になんでもないです」
「へえ」

くぼんだ目の奥のブルーの瞳を見るたびに心を揺さぶられるような気がした。
気持ちのやり場がなくて磨かなくても良いグラスを磨く。できるだけ目を合わせないようにしているのに、チラチラ見てしまうのは何故なんだろう。
時々目が合うと、彼は片側の口角をあげた。

「まあ、大雨だってわかってても来てたかもな」
「そうなんですか?」
「俺はここにいるのが好きなんだ」
「へ、へえ、そうなんですか」
「面白いものが見られるからよう」
「面白いもの」

それって私ですよね?
面白いもの、という揶揄は一体何を意味するのだろう。からかわれているだけなのかな。
けど、それはそれで良い気がする。
ある意味今の私に合っているというか、自分自身まだそのステージにたどり着けていない自覚がある。
そう思うといちいち緊張するのも馬鹿らしく感じてしまうもので、私に意地悪をする彼を見て笑ってしまった。

「そうですね、本当、英語は下手だし、お酒は濃く作りすぎるし、マスターにはよく怒られてるし」
「ハハ、ああ、面白い」
「もうちょっとかっこよくならないとメルルさんと釣り合いが取れませんね」
「……、言葉は俺と喋ってればそのうち覚えられるぜ、多分な」

一瞬面食らったような顔をした彼は、すぐにさっきまでのニヤニヤした顔ではなくてもっと優しげな笑みを湛えながらグラスを揺らしていた。カラカラと氷が回る音が心地よくて、つい私も微笑んだ。

「帰るとき、私の傘使ってくださいよ」
「お前はどうする?」
「いざとなったら忘れ物を拝借します、半年以上放置してるのが何本もあるんですよ」
「ふーん、」

急いでバックヤードに戻り、ロッカーの中から折りたたみ傘を取り出した。
こんな傘で大丈夫だろうか…… 自分で言い出しておいてなんだけど、かなり心許ない。
だけど、うん、ないよりマシか。そう思い直してカウンターに戻り、さっそく彼に差し出した。

「ハハハ、随分キュートな傘だ」
「すみません、花柄でした、忘れてました、嫌ですか?」
「いや、借りておく」

楽しそうに大笑いした彼はすぐに傘を受け取って、カウンターの上に置いた。
グラスの中の氷はそろそろ溶けきりそうで、あとひとくち、彼が飲んだら今日もおしまい。

「あの、」
「ん?」
「その傘、来週返してくださいね」
「ああ、また来週」

クシャッと少年みたいに笑った彼は、最後のひとくちを飲み干してから傘を掴んで、店をあとにした。

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