メルル|過保護

ちょっとした違和感から始まって、あっという間に世界は壊れた。
当たり前が当たり前じゃなくなった世界は、クソみたいにも思うけど、本当は意外と嫌いじゃないって思ってる。こんなこと誰かに言ったら多分怒られるだろうけど。

「やっぱり一人で待ってるの嫌だな」
「わがまま言うな、待ってろ」
「だって……」
「必ず帰るから」
「ここで私が“あれ”になっててもいいの?」

視線の先にはバリケードの外側に転がる死体があった。昨日の昼間に私が殺した。
まだ慣れてはいないせいでナイフをたくさん刺したら、ひどく血が飛び散ってお気に入りだったシャツをダメにしてしまった。
ダリルがため息を吐いたのを見てメルルが舌打ちをする。

「ナイフと銃の使い方は教えだろ、昨日だって上手くやれた」
「見てよこの格好、シャツがなくなったの、下着みたいでしょ」
「散策はあんなのが1体2体じゃないかも知れないんだぞ」

そんなことは承知の上だ。だからなんだと言うのだろう、いつか死ぬのが早いか遅いかの違いだけだ。世界がこうなった以上今更そんなこと気にしたって仕方がない。
ただ、もしその瞬間が離れ離れの時だったとしたら、と考えるだけで胸が痛い。
キャミソールの片方のストラップが千切れたのを無理矢理結んだ所を摘んで、ひどい服装になってしまった事を強調するように引っ張った。古い繊維が伸びてまた千切れそうになる。

「はあ……」
「俺は車の準備してる」

メルルが盛大なため息をつくと、ダリルはテーブルに置かれた鍵を取って外に出ていった。
ずるずるに伸び切ったキャミソールのストラップにメルルの指先が伸びて元の位置に引きずり上げられる。

「新しい服は俺が見つけてくるから」
「自分で選ぶ権利はないの?」
「だから」

苛ついているメルルの腕を引いて腰を抱いた。胸に耳をつけるとどくどく心臓の音が聞こえる。
バリケードの向こう側にいるあいつみたいになってしまったら、この音も止まるのだろうか。

「私がああなったらメルルに殺して欲しいんだよ」
「そうならないように置いていくんだ」
「メルルがああなったら私が殺したいって約束したのに」
「絶対にならない」

お互いに一歩も引かない会話は終わる気配がない。
こうやって粘り続ければメルルが折れるとわかって言っている私が悪いとはわかっているものの、やっぱり物分りの良いふりをするのはそろそろ嫌なのだ。いつまでも二人に守られているわけにもいかないし、その時が来たらお互いに失う覚悟は決めておかなければいけないとも思う。
メルルだってわかっているはずだ。

「メルル、大事にしてくれるのはすごく嬉しいけど」
「……」
「もう私も外の世界に慣れなきゃ」

バリケードの外にあれが集まるようになったのは私たち以外の“人間”がいなくなったから。
最初は車とバイクで行っていた散策に車だけで行くようになったのはガソリンがなくなったから。
散策の時間が日に日に長引いているのはこの辺一帯のめぼしい物資を奪い尽くしたから。
多分二人は私に惨劇を隠しているつもりだと思うけれど、そんな状況でも私が察するほどなのだから、きっと私が考えているより逼迫した状況になっているはずだ。腕を離して顔を覗き込んでも視線が合うことはなかった。

「ここはもう限界じゃないの?」
「……大量に物資が調達できたら、もっと北を目指したい」
「アトランタに行こう」

メルルはやっと私の顔を見た。驚いた表情で私を見ると、本気で言ってるのか、と少しうろたえている。
目についたカバンを拾い上げてその辺にあった役に立ちそうなものを手当たり次第詰め込んだ。

「大丈夫だよ、最悪私が囮になれば少なくともふたりは逃げ切れるし」
「お前」
「ごめん、ちょっと自虐したけど、……でもメルルもダリルも同じこと思ってるでしょ、私だって同じだよ」

苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてイライラしたように足を踏み鳴らす。最近はそんなメルルばかり見ている気がする。
その反面、私に不安を抱かせないようにするためかやたらと私を甘やかしたり過保護にしたりして、まるで情緒不安定だ。

「ね、ここにいたらみんなああなるよ、私は大丈夫」
「クソが」
「そのために私にナイフの使い方と銃の撃ち方を教えてくれたんでしょう」
「ふざけてる」
「大丈夫、うまくやる、そう信じなきゃ先に進めない」

拮抗した会話のあとは噛み合わない会話。こんなにイライラしたメルルを見るのは随分久しぶりだ。世界がおかしくなったあの日はまだ楽しそうに死体狩りをしていたのに、今はもう見る影もない。
メルルを無視して物資を詰め込んでいると、如何にこの家に何もないか実感した。本当にいよいよ限界だったのかも知れない。そう考えるとメルルの苛立ちにも納得できる。
すべては私が弱いせいだ。

「ダリルが待ってる、行こう」
「ナマエ」

ダリルにも最後の荷物確認をしてもらわなきゃ。そう思って扉の方に足を進めた時、後ろから腕を引かれてあっという間にメルルの厚い胸板にもたれかかった。
メルルの腕が腰に強く巻きついてびくともしない。首筋に吐息がかかって全身で強く抱きしめられているのがわかる。

「メルル」
「ナマエ、愛してる」
「大丈夫だよメルル、私も愛してる」

声が震えていた。
さっきまで怒り狂ったようだったというのに本当に情緒不安定な人だ。反対に私はどんどん穏やかな気持ちになって、余計な感情が削ぎ落とされていく。
いつ死んでもいい。
いつ殺してもいい。

「俺が殺す、必ず殺す」
「ふふ、私が殺すかも」

そうなってしまった時には既にこうすることは叶わないんだなあ。なんて思いながらキスをした。
不味い。
噛みタバコの味。

「行こう」
「うん」

世界が崩壊して、とても良いことがひとつあった。
メルルが私の手を握るようになった。
今まで手なんか繋いだこともないのに。
今日もそうして私を引いて、骨太のたくましい手がドアを開けた。

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