※志音くん視点
最近の俺のお気に入りは、瀬尾研で寝たふりをすること。
だって、あまりにもかわいい大人の姿が見られるから。起きてたら絶対に見られない風景を、こうやってちょこっとだけ覗き見するのがすき。
いけないことしてるなって思うけど、だってだって、あまりにもかわいいんだから仕方ないよね。
「なんだ、こいつまた寝てるのか」
「朝から学校行ってこっちに顔出してるんだから、忙しいんですよ」
研究室の中央にあるテーブルに突っ伏してたぬき寝入り。
そうしていると郁人さんとナマエさんが入ってきて、いつものようにナマエさんは俺にブランケットをかけてくれる。
俺がこのテーブルの椅子に座っているせいで二人の座る場所がなくて、二人は並んでパソコンデスクの椅子に座るのだ。
ほら見て、あの距離感。郁人さんは気づいて無いんだと思う。ぜったいに他のひとの隣に座る時より近い。一度腰掛けてから近づくみたいに一歩先に出るなんて、他のひととなら絶対しないもん。
ああなればもう俺のことなんて視界に入らないみたいに二人の世界になることを、俺は知っている。それをいいことに、こうやって薄目でチラチラ見てることなんて、あの二人は絶対知らないんだろうな。
「頼まれていた事務手続きは全部済ませておきました。控えが出るものは全部まとめておいたので」
ナマエさんはすごく器用なひと。誰が何を求めているのかきちんと理解している。書類の控えひとつとっても、瀬尾さんには付箋紙のメモ、郁人さんにはコピー、そういう細かい気遣いができる。
郁人さんはそういうナマエさんが好きみたい。
「ああ、助かる」
「いえ……」
「……なんだ、言いたいことがあるなら言え。じっと見るな」
ナマエさんが郁人さんの表情を伺うように見つめていると、郁人さんは不愉快そうな声でそう言った。角度的に郁人さんの表情が見えないのが悔やまれる。でも俺にはわかる。ぜったい嬉しそうな顔してるはず。
その証拠にナマエさんは郁人さんのきつめの口調を聞いてもそんなに悲しそうな顔をしていない。でも少し慌てて、ごめんなさい、と言った。
「昔の事を思い出していて」
「昔?」
「私がここに来たばかりのこと、覚えていますか」
「ああ、忘れるわけないだろう、まさかこんなドマヌケアンポンタンが存在するとは驚きだったな」
むむ、興味深い話題。
俺が瀬尾研に来た時にはもう郁人さんもナマエさんも居たし、今みたいなえばりんぼの郁人さんと器用でやさしいナマエさんだった。
でも郁人さんの話によればナマエさんは「ドマヌケアンポンタン」だったみたい。全然想像できないけど。
「あの頃は私も経験不足でしたし、すごく迷惑かけてしまって申し訳なかったなぁって」
「本当にな。急ぎのFAXを全部裏面で送ってきた時はどうしてやろうかと思った」
「あっそれまだ言うんですか、本当にすみませんでした」
「相手が俺でよかったと思え」
ナマエさんにもそんな時代があったんだなぁって口元がゆるむ。
多分その頃からえばりんぼだった郁人さんと、それに一生懸命ついていくナマエさんを想像すると、にやにやしちゃうほどかわいい。
ね、やっぱりここで寝たふりしてるとかわいい大人が見られるんだよ。
「私、成長しましたか?」
「しなきゃ困るだろ、何年助手やってるんだ」
「そうですけど」
そうじゃないでしょ、郁人さん。ほんと、素直に言えないんだから。ナマエさんはそういうこと訊きたかったわけじゃないってわかってるくせに。
郁人さんに「めっ!」て言いたい気持ちを堪えながら寝たふりを続ける。
ナマエさんはちょっと不満げにうつむくと、キャスターつきの椅子をゴロゴロしながら前後にゆらゆら揺れていた。
「はーあ、認めてもらえるにはまだ先が長そうです」
「別に認めてないなんて」
「うわっ」
危ない!
ゴロゴロしていた椅子が突然ガクンと揺れて、ナマエさんの身体が横に落ちる。
……前に、郁人さんが抱くようにしてその身体を支えた。
「ご、ごめんなさい」
「そういうとこだよ、ドマヌケアンポンタン。怪我は?」
「してません、多分」
「多分てなんだよ。足か? 腰か?」
郁人さんは結構な勢いでナマエさんの身体を触っているけど、その顔は真剣そのもので、ナマエさんの方も特別嫌がる様子はない。
「違和感は?」
「どこも無いです」
「少しでも変だと思ったらすぐに救護室行けよ」
「はい」
なにあれ。なにその顔。郁人さんは眉間にシワを寄せつつも眉尻を下げて心配そうな顔でナマエさんを椅子に座らせた。
ぜっっったいしないでしょ、そんな顔みんなの前で。
うー、誰かに言いたい! でも内緒。
「やっぱり私は駄目ですね、また早乙女さんに迷惑をかけてしまいました」
「……お前は頑張ってるだろ」
「え」
「今のが迷惑だったら今までのは賠償責任が問われるなって意味だ」
「はっ、あ、す、すみません」
ナマエさんの表情がみるみるうちにいつもの『やさしいおねえさん』から『郁人さんの後輩』になっていくのがわかる。
俺たちの前では見せないその自信のない表情も、郁人さんはずっと昔から知っていたのかも知れない。そんなナマエさんを見つめる郁人さんが、すっごくやさしい顔をしていること、ナマエさんは知っているかな?
「冗談だよ、本気にするな」
「えっ、な、わ、わかりにくいです」
「お前は十分頑張ってるし、成長してる。いつも助かってる」
落ち込んでいるナマエさんの近くに跪いた郁人さんがそう言うと、ナマエさんは郁人さんを見つめたまま無言で泣き出した。
さすがに俺も見ちゃいけないっていうか、こんなことしてちゃ駄目だなってはっきり自覚して、わりと真剣に罪悪感が芽生えてきてしまう。今更遅いけど。ごめん、ナマエさん、郁人さん。
……はっ、こうなったら本気で寝てしまえばいいのでは?
「お、おい、なんだよ急に、どうした」
「ごめんなさい、すみません、嬉しくて」
「はあ?」
「すごい、だって、私ずっと早乙女さんに認めてほしくて」
「な」
「ずっと早乙女さんが好きで」
「ちょ、お前待て」
「好きなんです」
俺って案外器用に意識を手放したりできるんだな、なんて感心する。
もうチラ見しないぞ! って固く誓ってまぶたを閉じれば、だんだん耳まで遠くなってくる気がするんだもん。
郁人さんとナマエさんはすごくいい雰囲気で、その先も気になるけど、でもそこは俺がずるして聞いちゃ駄目な所だっていうのはわかってるんだよ。
「お前が先に言うな!」
「……は?」
「あ」
「え……?」
「……チッ」
「……舌打ち」
「もう少しいい場所で言わせろよ、ドマヌケアンポンタンが」
ゴロゴロ、って椅子が軽く転がっていく音がして、そのあと郁人さんなんて言ったの?
ナマエさんは「うぇーん」って子供みたいに泣いてて……
そして、郁人さんが……
……ああ、もうだめ、おやすみ。