※ダリルがジャンキー、夢主=メルルより少し歳上、結ばれない
「いつまで寝てんだ!!」
「……寒い」
俺がなにか言おうが言わまいがまるで関係の無いことのように毛布が剥ぎ取られ、眩しい光が瞼を直撃した。
自らの手では絶対に開けることはないであろう黒の分厚い遮光カーテンは、いつもナマエによって開けられる。
震えるようにベッドの上で体を丸めて両腕を摩擦していると、呆れたようにじっとりした視線を浴びせたナマエはキッチンに消えていった。
しばらくぼんやり待っているとマグカップをふたつ持ったナマエが現れて片方を俺に渡す。ここまではいつも通りの毎月の儀式とも言えよう。
「兄貴のとこはもう行ったのか」
「まだだよ、アイツはこの時間に帰ってない事があるから」
「ああ」
「早く起きて顔でも洗って家賃寄越しな」
「来週まで待てよ」
「それが大家にモノを頼む態度か、まったくどうしようもない兄弟だよ」
このホットチョコレートは甘すぎるくらい甘い。一体どんな作り方をしたらこんなに甘いのになるのか。一度試しに作ってみたけどまるで駄目だった。ナマエじゃなきゃこんな美味いホットチョコレートは作れない。
「聞いてんのかい」
「じゃあとりあえず半分でいいか?」
「そういう問題じゃないだろ」
「頼むよおばさん」
「アンタのブッチャーナイフの切れ味を試してみようか」
「身内のよしみってことが言いたかった」
「私が思うに、アンタがいつまでも結婚できないのはその最悪な言葉選びのセンスのせいだね」
大体家賃が苦しいなら一緒に暮らせって言っているのに。アンタはろくにまとまった金がありゃしないし、メルルは全然捕まらないし、捕まったと思ったらシラフの時が何回あったと思う、ゼロだよゼロ。酒も薬もいいけどねぇ、そういうものは必要な金を残した上でやるんだよ、それが大人ってもんだろ。まったくいい加減ジジイなんだからしっかりしてほしいよ。アンタもだよ、アンタも。そんなんじゃいつまで経っても結婚できないだろ。せめてまともに仕事のひとつやふたつ見つけたらどうだい。
と、よくもまあスラスラと矢継ぎ早に何度目かもわからない同じ話をのたまうものだ。思えば最初の頃は遠慮がちに言いづらそうに苦言を呈していたけど、今や愚痴も様になった。
ナマエはこの部屋に来ると大抵眉間にシワが寄っている。眉間に染み付いたシワの原因は間違いなく俺ら兄弟の素行の悪さだろう。
両親が死んでからなんだかんだと世話をしてくれた
「わかったよ」
「何がだよ、まったく、何度同じ話をしたのやら」
その自覚がある事に驚いた。
何だその顔、と言って怪訝そうにしていたナマエの顔は随分と歳をとったように思う。続けてナマエは、アンタもジジイ手前のオヤジなんだからね、と言った。
いつまでもずっと子供じみたことをしてきたけれど、思えば確かにもう30過ぎてしばらく経つし、そこらの体毛に白髪も混じってきていた。
俺もナマエも気がつけばもうすぐ20年に差し掛かるほどの長い付き合いになろうとしていることに、なんともいえないモヤモヤした気分になる。
「あっという間に歳を取るな」
「本当だよ、昔のアンタたちは少なくとも薬はやらなかった」
「……怒ってるのか」
「当たり前だろ、あんなもんさっさとやめちまえってずっと前から思ってるよ」
初めてマリファナをした日、いきなりバッドに入ってパニックになってナマエを呼び出したら歯が折れるほど殴られたのを思い出した。
……なんであの時に辞められなかったんだろうなあ。あの頃の俺はあろうことかバッドトリップを克服しようとして、手当たり次第ダウナー系のやつを試していた。今はまああの頃ほどではないが、完全に縁のない生活とは言い難い。
薬のせいで失った時間がどれほどのものだったのか、ろくでもない自分の現状を見るよりもナマエのシワやシミを見る方が明らかで心を抉るものがあった。
その時間を使えばもっとこの人に何かできることはあったはずだ。
「アンタはメルルみたいにならないでよ」
「兄貴みたいって」
「あの子はもう自力じゃ引き返してこれないよ、誰かが取っ捕まえてくれないと。いいお嫁さんでも来れば良いんだけど」
「あ」
「え?」
ナマエは「メルルに嫁が来るのかい」とでも言いそうな視線を向けるが、そんなわけあるかと思う。大体兄貴が一人の女で黙っていられるならあんなに抗生物質まみれの生活はしていない。
この部屋に住んでかれこれ10年、その10年前にナマエが買ってくれた作業台の引き出しの奥にしまったままの物を忘れていたことを思い出しただけだ。
ナマエに背を向けて引き出しを掘り返してみると、やっぱり忘れていた例の物はそこにあった。
「これ」
それを下手投げで放ると兄貴の色恋沙汰でも聞こうかと目を輝かせていたナマエの膝に落ちた。引き出しの奥にしまわれていたおかげで埃ひとつ被っていない、メープル材で作ったリングケース。
ここに越してきた時分、少しだけ木工を仕事にしていた。リングケースみたいな小さな物を作るのは慣れていなかったけど、ナイフで彫刻をしたりチマチマとヤスリをかけるのは意外と嫌いじゃない。
「作ったの?」
「10年前に」
「へえ、上手に作るねえ。ダリルは本当に昔から手先が器用だね、この星も素敵! こういうセンスは良いのにもったいない」
「10年前にナマエに渡そうと思ってたのに、忘れてた」
「は」
「……開けろよ」
「え」
なんだその顔。
ナマエは目を見開いてせわしなく俺とリングケースを交互に見ていた。複雑な気持ちが混ざり合っているのがわかる表情だ。
「な、なに、これは、どういうことだか」
「やっぱりちゃんと10年前に渡すべきだった」
「ちょっとダリル、ちゃんと説明を」
「言わせんなよ」
「言いなさい」
「……」
開かれたリングケースの中に眠っていたのは大粒のアクアマリンを台座にひとつと両脇に小さなダイヤの粒を添えた指輪のはずだ。あれから10年、開けてもいないのだから当然あの指輪が入っている。
当時の俺にとって精一杯のエンゲージリングだったわけだが、子供のおもちゃと言われればそれまでの指輪。あと数日でもあのリングケースの完成が早ければ10年前に言えたはずの言葉は、もうどこかで宙ぶらりんになっている。
「ナマエ、10年前に軍人と結婚するはずだっただろ」
「しなかっただろう!」
「軍人が仕事クビになって薬に溺れなきゃするはずだっただろ」
「……」
「言えるかよ、でっけえダイヤの指輪はめてプロポーズされたって舞い上がってるナマエにそんな指輪見せられるわけないだろ」
さすがに元婚約者が薬物中毒になった女に当時の俺みたいな薬物常用者がプロポーズするなんてデリカシーがなさすぎることくらいわかっている。
「はあ、困った」
「勘違いすんなよ、今更本来の意味で渡すかよ。日頃の感謝ってやつだな」
「馬鹿だね、勘違いなんかしないよ。大体私はアンタたち兄弟のストレスのせいですっかりババアになっちゃって、こんな華奢な指輪なんかはめられないよ」
「……打ち直すから貸せ」
「いいよ、うちのあの鍵付きの引き出しに大事にしまっとくから。私が死んだら棺桶に入れてよ」
「打ち直すから、」
ナマエの手から無理矢理指輪を奪い取ると、リングケースを持ったナマエは力なく微笑んだ。俺の指もナマエの指も血管が浮いて、到底若者のそれには見えやしない。
いけないことをしてしまったような気になって指輪をナマエの手に戻す。今更こんなことしたってどうにもならない。
「やっぱりやめた」
「そうだろ、それがいいよ」
「まあ、大事にしてくれたら嬉しいよ」
「当たり前だよ」
10年間引き出しの奥にしまっていた指輪が、ナマエに渡ってまた違う引き出しで永遠に眠るのも俺とナマエにふさわしいあり方だろう。ナマエもそれを望んでる。
10年間宙ぶらりんになった言葉はもう戻らないけど、いろいろあって流れ着いた今は今で居心地が良い。起き抜けに飲む月に一度のホットチョコレートはこんなに美味い。