※夢主=耀さんより年上です、ちょっと悲しい
薄桃色の桜の花びらの向こう側には、もう随分緑の葉が生えてきていた。この駐車場に桜の景色が見えるのも今日が最後かも知れないな。
駐車券を財布にしまって車から降りると、盛大な花びらのシャワーにお見舞いされる。まあ歩いているうちに落ちるでしょう。
わざわざ振り落としもせず、そのまま病室に向かった。
「入りまーす、元気?」
「あ、耀だ」
ノックもせずに一声掛けて個室の扉を開けると、ナマエは暖かい病室で本を読んでいた。俺に気づくと栞をはさんで読むのをやめる。別に読んでたっていいけど。
見舞いに持ってきた果物をいつもの場所に置いて、ベッドサイドの小さな丸椅子に腰をかけつつ文字通りナマエの顔色を伺う。思ったよりも体調が良さそうで良かった。
「元気だったら入院していないのよ?」
「ベテラン患者が何言ってんの」
「はいはい、元気ですよ。耀は元気? ちゃんとご飯食べてる? 洗濯はしなくてもいいからクリーニングに出すのよ」
「……あのねえ」
ため息を吐くと同時にナマエが笑う。
はー、やんなっちゃうな。ナマエの笑顔を見て笑顔でいられなくなってきたのはここ数ヶ月の話だ。ナマエの笑顔に重なるのはもう何十年も前の子供の頃の笑顔だった。
再検査再検査再検査。いつになったらナマエの体調がよくなるのか。最初に病気が見つかってからもう何年経つだろう。気が休まらないのは俺よりもずっと君の方だよねえ。
「一人暮らし何年目だと思ってんの?」
もういい歳したオッサンなんだよ。それなのにこんなに頼りない男で嫌になる。痛みのひとつも取ってやれない。
それに、君にとってはいつまで経っても、
「可愛かった頃の耀ちゃんが忘れられないのよ」
「耀ちゃん」
「今でも思い出すと笑っちゃうのよ、中学生になった耀に『耀ちゃんて呼んだら一生一緒に帰らない』って言われた時のこと」
「そんなの早く忘れなよ」
俺よりも何年か先を歩く君にいつまで経っても追いつけない。
卒業したら。定職についたら。食わせて行けるようになったら。このヤマが終わったら。昇進したら。ナマエが退院したら。
そんなこと言ってるうちにあっという間にこんな歳になっちゃった。
「でもさ、一緒に帰りたかったから、ちゃんと『耀』って呼んでる私も随分かわいいと思わない?」
「ナマエは小さい頃からずっとかわいいよ」
「え、何、頭でも打った? 過労? しっかり休みなさいよ、体力勝負の仕事なんだから」
忙しさにかまけて見て見ぬふりをしているうちに、俺の言葉ももうまっすぐ届かなくなってしまった。
「そーだねえ、今日も久々の休みだし」
「やだ、私のことなんかいいんだから、ちゃんと寝てよね。全然平気なんだから、本当に」
ちょっとからかっただけなのに馬鹿真面目に弁明する所も全然変わっていない。
どれだけお互い忙しくしていても会えばあの頃に戻って会話ができる。違うのは勝手に歳を重ねた身体だけ。このことに関しては無駄に歳食っちゃったかも知れないな。
心配そうに握り合わせている両手を上から片手で包み込むと、びくっと震えた君と目が合う。
「え」
「心配しすぎ。ちょっとは俺にも心配させなさいな」
「ああ、ごめん」
困ったように笑うけど、ナマエに心配されたって俺はどうにもならないよ。俺が君を心配したって、君の病気がどうにもならないのと同じで。
ただ、お互いがお互いの人生を生きることくらいしかできないんだから。
「今度無駄に心配したら、一生一緒に帰んないよ」
「……ふふ、そうね、一緒に帰らなきゃ」