まさか夢が叶うとは。
ふたりきりで出かけられるなんて。
しかし肝心の彼はあまり機嫌がよろしくない様子である。
「はー、情けない」
「私はそんなこと思ってないよ、こうしてドライブできるだけで楽しいし」
「返還なんぞしなければよかった」
「でも普段必要ないしね」
私は彼を助手席に乗せて、運転席でハンドルを握っていた。それについて不満なんかひとつもない。
まあ、正直に言うと、そんな何十年ぶりにハンドルを握るレベルの人に運転してもらうのは、少し怖かった所というのもある。
ルームミラーにはいつも彼が乗っている黒塗りの高級車が映っている。いくら車内でふたりきりとは言え、監視と警備体制はバッチリということだ。
こんな状況になってまでデートしたかったのか?
と言われてしまうと悩むけれど、それ以上にこんな状況にしてまで彼が私のワガママを聞いてくれた所を素直に喜んでいる。
「運転を変われ」
「駄目に決まってるでしょ」
「ワシに指図する気か」
「あなたの命を守りたいのよ」
私と彼が今日を迎えるにあたって出された条件は、彼に運転させないこと。
この条件は納得せざるを得ない。本人も言っているけど免許は何年も前に返還しているし、当然その間運転は一切していない。
私は彼と付き合いだして運転する機会は確実に減ったけれど、それでも週に何度か運転することはあるから、無免許の彼に運転させるより余程もマシである。しかしそれでも彼は納得がいかないようで、家を出てからそれに対して文句ばかり言っている。
「ねえせっかくこうしてふたりきりで外に出られたんだから、それを楽しもうよ」
「こんなに格好がつかないのでは楽しむも何もあるか」
「……じゃあ帰ろうか」
別に彼が不機嫌なのは慣れているし、約束を反故にされたことだって何回もあるし、今回のデートが台無しになることだってもちろん想定内。
本当はデートしたいし、このまま海を見に行って良い雰囲気のカフェでランチをして…なんてやりたいことはたくさんあるけど、私が好き勝手して彼が不機嫌になるのは本末転倒なのである。
それに、私の前で格好つけようと思ってるなんて、それだけですごく感動的だし。
嫌味のつもりではなくて、本当にそう思って「帰ろうか」と提案したのだけど、彼はそれきり押し黙ってしまい、車内が微妙に気まずい空気に包まれた。
「この信号でUターンするから、帰ってケータリング頼もう、何か食べたい物ある?」
「……」
「私はイタリアンがいいな」
「……直進しろ」
「は?」
「いいから目的地へ行け」
前へ進めと顎で指示され、慌てて下げていたウィンカーレバーを元の位置に戻して車線変更をやめる。
後続車の護衛の人には申し訳ないことをしたけれど、さすが彼の部下だ、私の急な指示変更にも普通についてきた。
「……悪かったな、要らぬ見栄だった」
「え、あ、いや、大丈夫だよ、帰っても……」
「良い良い、このまま行くぞ、つまらんプライドなんか持つものじゃないのう」
突然人が変わったように穏やかな表情で顎にたくわえられた白いヒゲを撫でた彼に面食らう。
もう機嫌直ったの?
相変わらずよくわからない所にスイッチがある。機嫌が直るとその後は大抵ご機嫌なのも不思議なものだ。
運転席への執着はもう落ち着いたらしく、さっきまで前のめり気味に抗議していたのをやめて、シートに背中をつけてゆったりと腰を掛けている。
彼と付き合う前から乗っている私のコンパクトカーのシートに沈む姿は、あまりにも珍しい姿なのでどうにか写真に納めたいと思う。
「今更だけど座り心地悪くない?」
「ワシの車と比べたらな」
「そーだよねえ」
「まあ、あれだ、40年前に戻ったみたいだな、嫌じゃない、気にするな」
40年前なんて私はこの世に存在すらしない。
そういえば去年の春頃に会社の創立40周年のパーティーがあるとかなんとか言っていた。
今や大企業のお偉いさんの彼だけど、会社を創ったばかりの頃はチラチラと視界に入るあの高級車みたいなのではなくて、この車ようないわゆる“普通の車”に乗っていたのだ。
「40年前のあなたに会ってみたい」
「カカカ、今の方が男前だぞ」
「うーん、まあ、たしかに」
否定できない。
私が彼に魅力を感じるのも、きっとその40年…というか今までの経験の賜物という所もあるのだろうし。
それに、存外私は彼のシワや白いヒゲが好きだったりするのだ。今だからこそバッチリよく似合う、その和装なんだと思う。
「しかし40年前のワシならお前をこうして困らせることもあるまいな」
「え」
「車はちと格好のつかないグレードにはなるが、きちんとエスコートして運転もしてやれた」
「そ、それは、そ、そう、かもね」
予想外の発言に動揺して吃ってしまった。なんだか妙に顔があつい。耳まで赤くなっているんじゃないか。
彼が、私にエスコート、なんて。
40年前に出会っていたら、私は
「いや、でも時間に余裕もないし、やはり今がいい、余計な苦労もついてくるしな」
「苦労なんてそんなの私平気だから」
ちょっとした空想の雑談だというのに、ムキになってしまったことがとにかく猛烈に恥ずかしくて、声が尻すぼみになった。
彼の顔を見ることすらできず、ただ平気なふりをして前を見る。
「ククク、だからなんだ、苦労しても構わないから40年多くワシと居たかったか」
「それは、……もちろん」
もう3年も付き合うようになって、最近はこんなふうに気持ちを伝えることもなくなった。
というのも、気持ちの話をするのはきっと重荷だろうと遠慮しているうちに言えなくなってしまった。だから余計にこんな話をするのは気恥ずかしい。
「お前は馬鹿だのう」
「ば、馬鹿」
「お前の馬鹿な所が好きだ、ずっと馬鹿でいてくれ」
「えっ、あ」
今好きって言った。
だからなんなのよ、と思わず自分に突っ込む。中学生じゃあるまいし、好きと言われたくらいでそんな。
……出会ってから初めて言われたけど。
「これから40年過ごせばいいだけの話だ」
「……うん、そのつもり」
「カカカ、長生きせねばのう」
ねえ、どんな顔してそんなこと言ってくれたの?
今初めて運転していることが少し残念に思う。
ちらりと盗み見た助手席の彼は、窓の外を見ていて表情は読み取れなかった。
「これからもたまにはこうして出かけるか」
「うん」