一条|ツバメ

そろそろ潮時だろうか。
なんて、何度考えたかわからない。
彼がいなくなって1ヶ月目に。付き合った記念日に。大晦日に。
節目節目に暗い気持ちになるし、そうでなくても急に虚無感に襲われる。

「今日は遅くなると思う、ちょっと楽しみな仕事があってな」

そう言ったきり、帰ってこなくなった。
最後に見たのはいつもの余裕たっぷりの微笑みで、「楽しそうね、行ってらっしゃい」と、私が掛けた声はただそれだけだった。
用意しておいた夕飯のビーフシチューは、ひとりで食べた。
少ししてから「警察には行くな、俺は無事だ」と書かれた消印の無い手紙が届き、わけもわからないまま日常を過ごしている。未だに携帯も繋がらない。
職場や実家は教えてもらえなかったし、それがわかるものも家にはなかった。
ただ、なんの前触れもなく、彼だけが消えた。
こうなって見ると、私と彼の繋がりなんて本当に些細で僅かなものだった。彼が消えた今、私と彼は本当に繋がっていたのかすら怪しく思える。
本当は幻だったのでは?
なんて考えてみてしまうほどに何も残っていない。私がこの部屋を出てしまえば、お互いの繋がりを本当に失ってしまうんだろう。
一条は今、どこで何をしているんだろう。
洗面台にあるワックスと歯ブラシ、棚に並んだ彼専用の食器、クローゼットのスーツと玄関に並ぶ革靴。
彼の私物が目に入る度に泣きそうになる。

「おやすみなさい、」

隣で「おやすみ」と言ってくれる彼はいない。
ガン!
ガシャンガシャン!!
けたたましく金属と金属がぶつかり合う音が響き、心臓が飛び出すかと思った。
どうやらそれは玄関から聞こえていて、U字ロックが引っかかる音に似ている。というか、U字ロックが引っかかっている。多分。
強盗?
け、警察……
でも警察には頼らない方がいいのかも、しれないし、どうしよう。
ああでもないこうでもないと考えているうちにその音は止んで、インターフォンが鳴った。
部屋の照明で人がいるのはばれているだろうし、そもそもなんで鍵は開けられたのにロックは外さないのか。
なんで、
もしかして、

「いち、一条、」

これはなんという感情なのだろう。
動悸が激しくなりおぼつかない足取りで玄関に向かう。
隙間から覗いた赤茶色の髪と、少し痩せた懐かしい顔を見て、堰を切ったように涙が溢れだした。
早くロックを外してあげたいのにうまく手が動かない。
震える手でロックを外すと、ゆっくり扉が開いてずっとずっと待ち望んでいた彼がそこに居た。

「一条、」
「ただいま」
「おか、おか、お、」

おかえりなさい
スムーズに言葉が出ない。
せっかく一条に会えたのに、ひどい顔をしている。
スーツを汚しちゃいけないと思って抱きつくのを躊躇していると、ぎゅっと抱きしめられ、そのまま抱きあげるようにしてリビングのソファになだれ込んだ。

「ナマエ、一人にして悪かった」
「一条、ほんもの、どうして、」

なんで何も言わずにいなくなったの?
勝手に置き去りにして!
無事でよかった……
今までどこで何してたの?
言いたいことはたくさんあるけどまともに言葉にまとまらないし、どれもこれも一番言いたいこととは違う。
間近に迫った一条の顔は最後に見たときよりも少し痩けていた。元々長かった髪は更に伸びた。毛先が私の鎖骨に触れてくすぐったい。

「ナマエ、」
「んっ、ん」

突然重ねられた唇を拒む理由なんかどこにもない。
綺麗で大きな手が私の顔を包み、あまりの懐かしさにまた涙が溢れた。

「一条、どこ行ってたの、」
「待たせたな、色々あって、……やっと帰って来られた」
「もうどこにも行かない?」
「ああ、」

手を伸ばして一条に触れる。
指先にあたたかい一条の体温が流れ込むのを感じて、思わずその手に力を込めた。
一条は微笑んで私の手にその手を重ねて握ってくれる。
全身を一条に包まれているような気分になり、一条がいなくなってから久々に幸福を感じた気がした。

「聞きたいこといっぱいある」
「……そうだな、説明しなきゃいけない」
「でも後でいい、今はこうしてて」

一条の首に腕を回して力を込めると一条の鼻先が首筋に埋まって押し付けられるように動く。チクリとした痛みがそこに走って、半年以上ぶりに彼の印がつけられたことを悟った。
1年前の今頃は、つけないでよ、なんて嫌がったりしていた気がする。
こんなにもっと欲しいと思う日が来るなんて思いもしなかった。

「お前のことを忘れた日はない」
「うん」
「帰ったら、謝るのは当然として、うんと甘やかして、お前の言いなりに、なるつもりだったんだが」

息継ぎをするように首に耳に鎖骨にと、そこらじゅうに唇が降る。
こんなに久しぶりに会ったのに同じシャンプーの匂いがした。

「その前に、お前が欲しい」
「いち、じょ」
「頼む」

私の胸に額を押し当てて懇願するように呟いた。
その声がなんだかとても痛々しくて、とてもわがままを言う気になんてなれなかった。
前よりも少しパサついた気がする髪をときながら「いいよ」と言うと、一条はそのまま額を擦りつけて器用に唇でパジャマのボタンを外していく。

「……痩せたな」
「お互いさま」
「本当に悪かった」

隅々まで確認するように一条の手が全身をくまなく撫でた。
指の先をじっくりと見つめられて、大したことじゃないのに緊張してしまう。
それを口に咥えて味わうように舐る様子はひどく官能的で、指先が性感帯に変わる。
甘噛みされるたびに腰が疼いた。
甘噛みは次第に腕へと伝い、脇の窪みを抉るような舌使いに変わる。
恥ずかしくて腕を下げようものにも一条がそれを許さない。
舌先でつついたり、舌全体で舐めまわしたり、緩急をつけた舌の愛撫は私の理性を破壊した。

「んっ、う、」
「声を聞かせてくれ」
「いちじょ、う」
「ずっと会いたかった」

パジャマが肌蹴て晒された胸のてっぺんもその調子で弄ばれ、途切れることなく息が漏れる。
久しぶりに感じる快楽は今の私には刺激が強すぎる。
まだそこには触れられてもいないというのに自分で不快感を覚えるほどに濡れているのがわかった。
耳、首、腕、指、脇、胸、脇腹
一条が触れるごとに私を震わせ、私はもうこれ以上ないくらいに蕩けきってだらしない顔をしているに違いない。

「も、だめ、一条」
「悪い、調子に乗ったな」
「違う、ね、もっとちょうだい、」
「……」

最後までしないつもりだったのだろうか。
自分から盛ったみたいで恥ずかしい。けどこんな所でやめるなんて酷すぎる。
一条は頬にキスをすると私を抱き上げてベッドに優しく寝かせた。きちんとお姫様抱っこをしてくれる所は、以前とまったく変わらない。

「一条、キスして」
「ナマエ」

私が求めていた啄むような優しいキスをすぐに与えてくれる。
こんなに長い間離れていたのに、今でもちゃんと私のことをわかってくれている。
それだけで今までのすべてなんかもうどうでもよくなりそうだ。

「お願い、」

そう言っただけなのに、一条の手がショーツの中に潜り込んでボトムと一緒に引き下ろされる。
膝下で絡まるそれを脱ぎ捨てながら一条のシャツのボタンを外していく。
カチャカチャとベルトの金具の音がすると、久しぶりの熱い塊が足を割って私の真ん中に押し当てられた。

「ずっとこうしたかった」
「……私も」

ゆるゆると肉の裂け目を行き来した塊は、キスを合図に内部に侵入する。
久しぶりの挿入は快感よりも異物感の方が強く、思わず眉を顰めてしまう。
それでも唇を合わせたまま何度か動かされているうちに感覚を取り戻した私は、いつの間にか口が勝手にいやらしい声を漏らしていた。

「あっ、あ、あ、」
「ナマエ、ナマエ」

一条は私の存在を確かめるように上体を抱きしめて何度も名前を呼んでいた。
最奥にその先端を張り付けて抉るように腰を打ち付けるのは、私がいちばん良く鳴くことを知っているからだ。
首や鎖骨のあたりにはチリチリと痛みを感じ、一条の証がいくつも残されていく。
密着した一条の恥骨がクリトリスを圧迫し、蕩けるような深いキスは開発された咥内の性感帯を荒らした。
痺れるような快感とじんわりと包み込むような快感がごっちゃになって襲い、この上ない快楽に溺れそうになる。

「やっ、いち、じょ、イく、」
「んっ、は、顔見せろ」
「あっ、あっ、らめ、も、イッ…」
「興奮する、っん、」

一条に頬を掴まれて強制的に見つめ合う。
人差し指で強引に開かれた口から涎がこぼれた。快感に身を任せて声を出している私をよそに、私の中にいる一条がドクドクと脈を打つように圧迫してくる。

「やだ、いちじょ、一条、いく、いっちゃ、あっ」
「ナマエ、っナマエ、愛してる」

一層大きくなったそれが何度も最奥にキスをして、私は深い快楽の底に堕ちた。
それでも律動を続ける塊に揺さぶられ、ぎゅうぎゅう締め付けているのがわかる。
搾り取るように収縮する膣に揉まれた一条がビクンと身震いすると、既のところで慌てて引き抜かれ、私の太ももに熱い体液をぶちまけた。
当たり前のような行動が、なんだか少し寂しく思う。

「はぁ、は、あ、中に出しそうだった」
「……中に出してほしいと思っちゃった」
「馬鹿」

呼吸を整えるようにふたりで深呼吸をしていると、合わさった心臓の音がだんだん揃っていく。
ふたりで軽口を叩きあってベッドに転がっていると、本当にもう、今までの数ヶ月はなかったことみたいに思う。
程よい筋肉質の腕を枕にして、厚めの胸板に抱きついて眠る。
ずっとこうしたかった。
昨日までの願望は、今こうしてまた現実になった。

「……俺の世界はお前でできてる」
「えっ?」

突然ドラマみたいなことを言うから思わず耳を疑ってしまう。
一条の細いながらも男らしい手が私の肩を抱き、その手にはしっかり力が込められている。

「お前がいない世界は地獄みたいだった」
「地獄」
「もう二度とあんなことにはならない、絶対だ、約束する」
「……うん」

余程辛いことでもあったのだろう。
私の中にあった怒りの感情はもうすっかり息を潜め、一条を宥めるように微笑んでキスをした。
柄にもなくギュウっと全身をくるむように抱きしめられて、この上ない愛しさがこみ上げる。

「一条、愛してるよ」
「もう離さない」

何度も甘い言葉をささやきあううちに瞼がどんどん重くなる。
心地よいまどろみの中にふたりで溶けてしまえればいいのに。
微かに残る意識の中でそう願った。

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