すっかり夜も更けた頃に九条さんの家に帰ったら、玄関ホールのど真ん中でド派手なドレスを着たナマエさんが倒れていた。
「……」
あまりに驚きすぎると何も言えないというのは本当だなんて、まさか実際に体験することになるとは。目を見開いて息を呑むくらいしかできなかった。おそるおそるナマエさんに近づいてみると、思わず顔を背けたくなるほどのアルコール臭を感知する。
おそらく泥酔して帰ってきてそのままここで限界を迎えたのだろう。よく見ればハイヒールは片方しか履いてないし、薄いストッキングはくるぶしから膝の上まで伝線している。
……これは酷い。
「ちょっと、ナマエさん」
「……」
「ナマエさん! 大丈夫? 起きて」
「……う」
「大丈夫?」
「ねむい」
やっぱりこのままここで寝るつもりだったんだ。九条さんちに泊まる許可を取ってあるのかどうかはさておき、ホールで倒れたまま寝るのはさすがの九条さんでも許さないだろう。
どう見ても自立するつもりのないナマエさんをあちこち連れ回すのは難しい。仕方なく制服のジャケットを脱いで彼女に掛け、豪さんを探して客間を手配してもらった。良かったね、ナマエさん。
すぐにホールまで戻ると、さっきの状態から寸分違わずそのままの状態のナマエさんがうめき声を上げていた。
「ううう…… うう……」
「どうしたの」
「足が痛い……」
「……ちょっと、俺の上乗れる?」
10cmも高さの違う足で歩いてきたのだとすれば、体中のあちこちがおかしくなっても仕方ない。
ナマエさんに背中を向けて腰を下ろすと、シャツを掴みながら崖登りでもしているかのようにゆっくりと背中にしがみついた。
……おっぱい。
いや、こんなこと考えちゃ駄目だ。相手は酔っ払いだし。酔っぱらいだからこそか、遠慮なく俺の背中に押し当てられるナマエさんの柔らかい身体の感触は正直言ってちょっと毒だ。
絨毯の上に投げ捨てられたジャケットを拾ってナマエさんの太ももを抱え、豪さんに指定された部屋に運ぶ。
「ナマエさん、ベッドでいい?」
「んー、このままがいい」
「無理」
「ベッドでいい……」
できるだけ負担にならないように気をつけながらベッドにナマエさんを転がすと、まぶたを閉じたまま苦しそうに呻く。
コンコン、と扉を叩く音に返事をすれば、豪さんが水のペットボトルを持って現れた。
「大丈夫ですか?」
「うん、ちょっと様子見てる」
「何かあったら声掛けてくださいね」
豪さんの有り難い申し出には素直に頷く。なにか含んだように微笑んで出て行った豪さんに気づかないふりをしてふと時計を見れば、もう22時を回っていた。
22時にしてここまで泥酔するって、何時からどんな飲み方したんだろうか。
「ねえ、水飲む?」
「飲む」
「飲める?」
「飲めない」
無茶苦茶だな。以前清志さんが「泥酔するやつと酒は飲めない」と愚痴っていたのを思い出した。もしこれがおっさんだったらと思うと、その意見には同意せざるを得ない。
ナマエさんの上半身を起こして支え、ボトルの封を切って口元に当てると、ナマエさんの唇が給水器を求めるげっ歯類のように吸い付いた。口端からこぼしながら水を飲んだナマエさんは「もういい」と言って俺に寄りかかった。
触れた所からナマエさんの体温がじんわりと伝わって、熱いくらい。
「横になれば」
「えー」
「いつまでこうしてるの」
「んー」
一応ナマエさんの意見を汲もうと会話を試みるけれど、まるで会話になる気がしない。手持ち無沙汰になった俺は無意識にナマエさんの腰に手を回していた。
あ、と思った時にはもう遅くて、ナマエさんの手が俺の手に重なっていた。
「カナメくん」
「あ、はい、何?」
突然名前を呼ばれて変な返事をしてしまう。
嫌がられただろうかと様子を伺うけれど、ナマエさんは相変わらずまぶたを閉じて起きてるか寝てるかすらわからなかった。
「……」
「え、何!?」
「……」
「ナマエさん?」
「……」
ぶっつりと切れた会話に戸惑って身体を揺らしてみるけれど、もう返事はなかった。息を潜めるようにすれば、ナマエさんのすうすうと穏やかな呼吸音が聞こえ、寝てしまったことを悟る。
なんだったんだろう、なんだったの? 気になるじゃん。
そんな所で寝るとかずるいでしょ、なんて思っていたら、自然と腕に力が入って結果的にナマエさんを抱きしめた。
「……」
それでもなんの反応も示さないナマエさんの様子を見て、ため息をついてからその身体を横たわらせた。
いつもはキリッとして「仕事できます!」みたいな顔してるくせに、子供みたいな顔して寝るんだな。寝てるナマエさんにこんな派手なドレスは似合わないけど、泥酔する前はきっとすごく綺麗だったんだろう。
「ナマエさん、よく帰ってこれたね」
「……」
「変な男についていっちゃ駄目だよ」
「……」
「誕生日になったらすぐ免許取るから、お酒飲んだら俺を呼んでね」
「……」
寝ている相手に向かって何言ってるんだか。寝ている相手だからこそ言える言葉でもあった気がするけれど。
調子に乗って頭を撫でようと思って差し出した手を引っ込める。今触れてしまったら、止まらなくなりそうだ。ナマエさんを困らせたいわけではないから。
「俺が追いつくまで待っててよ」
お願い。
聞いてくれるかな、酔っ払いだし、寝てるから、どうだろ。
あんまり期待できないかも、頑張るしかないよね。
「おやすみ」
悪い心が顔を出す前に、ナマエさんの眠る部屋を後にした。