珍しく街の中で親父に出くわしたかと思えば、たまには一緒に食事はどうかと誘われて、ついてきてしまった。
用事もなかったし、まあいいかと思っていたが、愛人が一緒ならそう言えよとちょっと親父のデリカシーのなさにうんざりした。
「ナマエは好きなものを頼みなさい」
「はい、ありがとう」
オレよりは年上だけど、母さんに比べたら随分若く見える。ていうか、母さんは小綺麗ではあるものの“オバサン”だけど、この人は派手ではないが“女”だ。
会うのは初めてではない。無神経な親父のせいで、もう何度か顔を合わせている。親父に愛人みたいな女が何人かいるのはもう随分前から知っていたけど、だからと言って息子にまで紹介する必要は無いだろう。
愛人だと直接言われたことはないが、“世話をしてやっている”というのはまさしくそれに違いない。
親父は黒服を下がらせて、外の車で待機するように指示を出した。こうして食卓を囲んでいると、親父の愛人というより俺の姉と言った方がしっくり来るように思う。
「最近仕事の調子はどうだ?」
「まあまあかな」
「失敗しなけりゃそれでいい」
顔は笑っているが、目は完全に笑っていない。暗に「下手を打つな」と釘を刺されたようなものだろう。
今更だけどこの席は一体何なのだろうか。女とふたりきりで来る予定だったとは思えない。
何故なら円卓だから。
親父と女は隣同士に座るわけでもなく、何故か妙に隙間を空けて3人で綺麗に3等分の位置に着いている。
「兵藤さんは何にしますか?」
「ワシはナマエが2番目に食べたいものにしよう」
「好きなものふたつ選んでいいんですか?」
「いいぞ」
「ありがとう」
女はにこりと微笑むと、菜単に目を落としてメニューを選び出した。親父はそんな女を見て満足そうにしている。
それを見たオレは胸焼けしそうだった。
ていうか、女も女で正妻の息子を目前に堂々としすぎだろ。こんなんだから家族の画と錯覚したのか。もしかして愛人ではなくて隠し子なのか?
考えられなくもない。ただ、それにしては扱いがオレと違いすぎるけど。
「ナマエ、選んで頼んでおいてくれ。和也も好きなものを頼みなさい」
「ああ、わかったよ」
「便所に行ってくる」
まじかよ、ふたりきりにするつもりか!?
本当に呆れる。
親父は和服なんか着てるもんだから、異様に便所の時間が長い。
「ハア…」
盛大にため息をついても、女は特に何も感じない様子で食事を選んで注文した。俺も適当にアワビとカニを頼むと、ウェイターはそれを承諾して去っていった。
「和也くん」
「……オレの名前知ってんの?」
「知ってる、兵藤さんいつもあなたの事話してるわ」
「へえ」
意外な事実に妙な気持ちになった。嬉しいとは思わないけど、なんともくすぐったい気分だ。
それにしても話しかけられるとは思わなかった。女を見るとニコニコと読めない表情でオレを見ていて、綺麗に紅のひかれた唇が妙な色気を醸し出している。
「……あのさ、単刀直入に聞くけど」
「なに?」
「ナマエさんて親父の愛人でしょ?」
「そう見える? 嬉しいわ」
「えっ」
「残念だけど私の片思いみたいなものね」
そんなんもっと驚くだろ。
あんなジジイのどこがいいんだ、こんなに若くてそれなりの顔立ちなら他にもっといい男がいるはずだ。いくらなんでも金に目が眩みすぎている。
「金?」
「そうよ、って言うと思って聞いているの?」
「いや、ハハハ、フツー言わないよな」
「お金も魅力のひとつだけど、それだけじゃない魅力がたくさんあるじゃない」
「ん、まあ、そうかな」
また答えづらいことを言う。
しかし親父の態度を顧みると“片思い”とはとても思えない。複雑な事情があるのか。
歳とっても恋だのなんだの、言うヤツは言うもんなんだなと感心する。
「あと、私は面食いよ」
「マジで?」
あれでいいの?
喉まで出てきた言葉を飲み込む。
人の好みはそれぞれだけど、自称面食いで親父を選ぶ人はなかなかいないだろうということだけはわかる。息子のオレが言うのも虚しい話だが、どれだけ贔屓目で見ても整ってはいない。
「それとね、和也くんには特別に教えてあげる、私枯れ専なの」
「ジジイ好きってこと? アンタ変わってるね」
「でも最近新しい願望が芽生えてね」
「なに?」
いつの間にか女の話に耳を傾けて、まあまあ真剣に聞いている自分がいた。
小説のネタを見つけた時のような高揚感がある。
「私好みのおじ様を手に入れるためには、若いうちから育てなきゃいけないんじゃないかしらと思ったのよ」
なるほど筋は通る。
が、それではさっきの片思いとは一体なにか。
一度ビッチが凄惨な目に遭う話を書きたいと思っていた。この女の話はきっと後学のためになる。ような気がする。
「和也くんは兵藤さんに似てるわよね」
「ハァ…?」
それは、イタズラを考えている子供のような無邪気な笑みで言う言葉なのだろうか。真意がよく見えてこないせいで、若干の警戒心が芽生えた。
「だから最近はね、和也くんの30年後に私が隣にいたらいいなって妄想してるの」
前言撤回。
この女の話はためにならないし、頭がおかしくなる。
親父もよくこんなわけわからないのと付き合う気になるな。シャブでも売りつけて借金漬けにして囲った女じゃあるまいな、と、あまりにも可能性が低いことまで考えてしまった。
「そんなのオレに言っていいわけ? 親父にチクられたら困るんじゃないの」
「いいわよ別に、だって和也くんに会いたいって言ったらこうして食事に誘ってくれたのは兵藤さんだもの」
親父のこともこの女のこともわけがわからなすぎてクラクラしてきた。
昼間親父と会ってから、何度“何故……”と思ったかわからないほどに理解の範疇を超えたことばかりが起きている気がする。
「今日はナマエさんがオレを口説くまでが織り込み済みのプランってことね」
「そんな所」
「オレ、振ってもいいんだよね?」
「とりあえずセックスしてみてもバチは当たらないわよ?」
「……親父はなんて?」
まるでゲームのような攻防戦。
オレの人生にまさかこんな、オレが防御に出る日が来るとは思いもしなかった。
「面白いやってみろ、和也が堕ちたらその時は頼んだぞ、って。よかったわね、お墨付きよ」
「嬉しくないし。ていうかオレ女に困ってないし……」
「携帯番号教えて」
「いや、教えない」
「兵藤さんに聞くから」
「……」
こんな攻め方してきた女なんて俺の人生には存在しなかった。
意味がわからない……
何よりも困惑という感情が大きくて、目の前の女の素性だとか実際に女として見られるのかとか、そういうことは何ひとつ考えられないでいた。
「私は和也くんのお金と顔と将来性が好きよ」
「ソレ本人に言っちゃダメなやつでしょ」
「だって中身なんか知らないもの、一目惚れなんだから仕方ないじゃない」
「正直すぎ」
完全に引きつった顔をしていたと思う。このオレがこんなに感情的になるなんて、ショックだ。
でもまあ、面白い人、なのかも…… いや、絆されちゃダメだ。
よく見れば確かに派手じゃなくても綺麗だし、一発やりたいような気がしなくもない…… でもこんな女とヤったら後がめんどくさすぎる。
こんな女、だからこそ、オレは新しい道を切り開けるんじゃないのか……?
いやそんな道開拓する必要ナシ!
どっちが天使でどっちが悪魔かわからない、相反する考えがモヤモヤグルグル頭を駆け巡る。
「料理は頼んだか?」
心理的攻防が続く中、親父が帰ってきて元の席に腰をかけた。
さっきまでの空気が嘘のように、親父が支配する空気に切り替わる。相変わらず女はニコニコと気味悪い表情を浮かべていた。
「頼みましたよ、牛とエビのステーキですけど大丈夫ですか?」
「構わん、なんでも良い」
親父と視線を合わせて喋る姿は、確かに若くて可愛らしい女のそれで、魅力的にも見えた。
少しは可能性を与えてもよかったか?
などと思い返していると、スッと手が伸びてオレの膝に名刺を置いてすぐに戻っていった。
「……」
さっきまであんなにオレにしつこくしていたくせに、今はもう目も合わせようとしない。まんまと乗せられた感が半端ないが、悔しくてその名刺をポケットにしまう。
今更気づいても遅かった。
どうやらオレはとんでもない女に出会ってしまった。
※ソフィーさん出現前の作品です