メルル|なくしもの

ギコギコ、ギーコ…… ギコ……
錆びた金属が擦れるような不愉快な音が耳について布団から飛び起きると、結構いい時間になっていて驚いた。
間もなく昼を迎えようとしている。エアコンをガンガンにかけて寝ていたおかげでとても良く眠れた。目覚めはよろしくないが。
ギーコ…… ギコギコ……
相変わらずどこからともなく響いている金属音が、昨晩の酒が残る頭に響いて不愉快極まりない。どことなくホラーめいた音にも聞こえるけれど、真っ昼間からこんな音じゃホラーもなにもあったもんじゃない。
一体どこのクソガキかしら、まったく親は何してるんだか…
起き抜けに間に合わせの頭痛薬を飲むと、下着もつけずにそのへんにあった適当なワンピースを被って外に出た。

「うるせー、出てこい!」
「……」
「えっ」

道路に面した生垣の方からひょっこりと姿を現したのはガタイの良い坊主のおっさんで、それはよく見知った顔。
驚きのあまりに思考回路も動きも停止してしまう。いろいろと説明不足すぎる状況なのだ。
いつものタンクトップとカーゴパンツに身を包んだメルルが、どこから見つけてきたかもわからないようなオンボロの自転車をギコギコと軋ませながら漕いでいる。
逞しい上半身に不釣り合いすぎる自転車を漕ぐ姿はサーカスの熊のようでもあった。

「よう、ナマエ、寝起きか?」
「な、何してんの……?」
「見ればわかるだろ、サイクリング」
「……全然わかんない」

サイクリング……?
その自転車で?
いつも乗ってる傷だらけのコロラドはどうした?
私が疑問符を浮かべてフリーズしていると、相変わらず耳を劈(つんざ)くような金属音を響かせながらメルルがこちらへやってきた。

「おいビッチ、こんな格好で外に出るんじゃねえ」
「ああ、ごめん、子供だと思って」
「関係ねえだろ、ガキだって見るもんは見てるんだぜ?」
「ちょっと外なんですけど」
「嫌ならさっさと着替えてこい」

おちょくるように服の上から胸の先端をひと撫でしたメルルは、ニヤリと笑ってこちらを見た。
メルルのキスから逃げるようにして部屋に戻り、多少はマシな服に身を包んですぐに外に出ると、メルルはうちの玄関の所に腰を下ろして煙草を吸っていた。

「早いな」
「うん、すっぴんだし」
「ハハ、今でも十分キレイだぜ」
「何しに来たの? セックス?」
「馬鹿か、お前はそればっかりだな、ビッチ」

上から下まで服装を確認されると隣に座れと促され、素直にメルルの横に腰掛ける。
ふわりとメルルの煙草の香りが漂って、妙に落ち着く。

「セックスするならさっきの格好でよかった」
「寝起きなら全裸なのに」
「着衣は着衣でイイって覚えとけよ」
「わかった」

それにしてもなんだあの自転車は。
玄関先に停められた自転車は、どうみても最近まで死んでいたと思われる風体だ。ゴミ置き場から拾ったのだろうか。

「メルル、車壊れちゃったの?」
「なくした」
「はあ? どういうこと?」
「昨日酔っ払ってどこかに置いてきた」
「なにそれ、馬鹿じゃないの!?」

そんなの有り得る?
呆れた。だからあれほどお酒飲むのに車なんか乗っていかなきゃいいって言ったのに。
車なくした人なんか初めて見た。それだというのにヘラヘラと。一体何を考えているんだか。

「朝起きたらコイツが庭にあった」
「コイツ」
「こんなにサビだらけのくせに、きっと昨日は俺と一緒に帰ってきたんだ」
「へえ……」

この人は何を言ってるんだろう?
そのあともごちゃごちゃなんか言っていたけれど、要約すると「この自転車に愛着がわいた」ということらしい。まあ確かにサビをとって綺麗にすればハイセンスでかわいらしいデザインの自転車だ。
ほんとメルルには似合わない。

「だからDIYストアに行ってサビ落としとブラシを買わなきゃならねえだろ?」
「うん」
「ところが困ったことに車がなくて行けねえんだ」
「知ってる」

ギャグかな?
それにしてはわりと真面目に言っている様子に見える。
メルルはポケットに手を突っ込むとチャリチャリと何かを漁り、取り出して見せた。

「鍵はあるから盗まれちゃいねえだろう」
「目星ついてるの?」
「多分昨日飲んだ酒場の裏のごみ捨て場の横だ、そこまでサイクリング」
「なるほど」

昨日飲んでいた酒場というと、自転車ならここから大体30分くらいで行けるだろうか。けどこんなサビた自転車では歩くより辛い気もするけど。
そんなことを考えているうちにメルルは煙草の火を消して灰皿替わりの空き缶にそれを捨てて立ち上がった。

「まあ乗れよ」
「え!?」
「ここに足かけて立ってれば乗れる」
「これ二人乗れるの!?」
「壊れたら直せばいい」

そうは言うけど本当に大丈夫か?
サドルに跨るメルルの肩を借りて、言われた通り後輪の車軸に足をかける。恐る恐る反対側の足も同じようにしてみると案外しっかりした足場で、そこまで不安定ではなさそうだった。
漕ぐのがメルルとあれば運転手としては申し分ない。

「行くぞ、しっかり掴まってろよ」
「うん、気をつけてよね」
「任せろ」

ギーコ、ギーコ、ギーコ
相変わらず不調げな音をたてて、自転車が走り出す。それにしても自転車なんて何年ぶりに乗っただろうか。怪しい金属音はともかく、風を切る感覚は爽快そのものだ。

「なんかローティーンに戻ったみたい」
「ついこの間だろ?」
「メルルのこの間の範囲広すぎない?」
「俺は30年より前だ」
「私だって10年は前だよ」

30年前のメルルってどんなのだったんだろう。喧嘩してそうなイメージしかない。10年前の私はアメリカに来たばかりで友達もできずに暗い毎日を送っていた。
多分同じクラスや学校だったとしたら、ひとつも接点なんてなかっただろう。

「私、メルルと知り合ったのが大人になってからでよかった」
「なんだ急に」
「メルルと一緒にいられて嬉しいなって思って」

ギギギ、
と嫌な音を立てながら自転車が止まる。
突然メルルに両腕を掴まれたと思いきやそのまま引っ張られ、驚く間もなくまた車輪が回り出した。
後ろからハグしているみたいな姿勢になってちょっとドキッとした。今更こんなことで。

「……暑くない?」
「それはそれで興奮するだろ?」
「ハハ、ローティーンみたいね」

ギコ、ギコ

「メルル愛してるよ」
「あ? 何か言ったか?」
「今夜また言う」

いい歳した男女が青春ごっこをするには、このうるさい自転車が丁度いい。

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