その日を知ったのはナマエが俺の家に住みだして2年目のことだった。
今考えてみれば1年目に俺の誕生日を祝ってくれた時に聞いておけばよかった。あの日は人生で初めて幸せを感じた誕生日で、とにかく擽くすぐったいようなむず痒いような気分でそれどころではなかった。
そのせいで1年目は見事に無視する形になり、2年目には知らぬ間に過ぎ去っていた。それを知った日、ナマエはかつての俺と同じように、誕生日なんてひとつも嬉しいと思ったことないからいいんだよ、と笑った。
そして今、3年目のナマエの誕生日が明日に迫っている。
プレゼントのひとつでも贈らなければ気が済まないが、いかんせん今まで付き合ってきた女どもとタイプが違いすぎる上に、そもそも俺とナマエが一緒に歩いている画がもはや犯罪のような有様である。
つまり、ナマエの趣味に合いそうな店に行くための服がない。
普段なら絶対に組み合わせることはないであろう小綺麗どころのシャツとパンツを合わせて、一応ヒゲを剃った。見慣れない自分が鏡に映り、猛烈に恥ずかしくなる。
「どうしたのその格好」
「変か?」
素肌に俺の伸びきったTシャツを纏ったナマエが、驚いた様子で俺を見た。
しまったな。
起きる前に出かけようと思ったが、いきなり失敗した。
薄くなった生地に透ける素肌は、昨夜の情事を感じさせる艶めかしさがある。少し味見したい衝動を飲み込んで財布と小銭をポケットに突っ込んだ。
「変じゃないけどいつものメルルじゃないみたい」
「ならいい、少し出かける」
「ちょっと待って!」
玄関に進もうとした俺の腕に、ひんやりとしたナマエの細い指が絡む。あっという間に俺と玄関との間にかわいい障害物が現れ、最初の失敗がジワジワと響き出した。
「そんな格好でどこ行くの」
「どこって昨日言っただろ、弟と仕事だ」
「なんの仕事」
「言ってもわかんねえよ」
早く諦めないかとわざとぶっきらぼうに言うと、あからさまにムスッと不機嫌な表情に変わる。
ああ、またミスしてしまった。このまま貫けば喧嘩になるだろう。
なにが悲しくてナマエを喜ばせたくてナマエと喧嘩しなきゃいけねえんだ。
さすがにそれは避けたい。
「あー、“配達”だよ、いつものクラブだ」
「クラブ行く格好じゃないでしょ、それ」
値踏みするように上から下までじろじろ視線を注がれ、しまいにはそっと伸びた指先が、普段は殆ど手入れもしない顎に触れてその肌触りを確かめる。何をどう勘ぐってるかわからないが、とにかく怪しまれていることは確かだ。
こうなるのが嫌だから早く家を出たかったのに。俺が起きるとナマエもすぐに起きてしまうのを忘れていた。
「なんでおめかししてるの」
「してねえよ」
「私今まで一度もこんな格好のメルル見たことない」
「たまたまだろ?」
「3年間ほとんど毎日一緒にいるのにたまたまなんて有り得ない」
ずいと顔を突き出して、首元のにおいを嗅がれる。
すんすんと小さく鼻を鳴らして擦り寄る様が子犬のようで愛らしい。いや、そうではなくて、この状況をなんとかしなければいけない。唯一の救いは香水や整髪料の類は付けなかったことだ。
「うーん?」
「ほらどけよ」
「一緒に行く」
「駄目だ」
「じゃあ行かないで」
ナマエの小さな頭が俺の胸にもたれ掛かり、ぎゅっと抱きしめられる。
まずい。今まで散々ヤリまくるために約束をすっぽかしてきたツケがこんな形で回ってくるとは。
胸を押し付けてくるナマエの腰を撫でれば、ケツがゆらゆらと揺れるのが見えて、むくむくと立ち上がる己に気がつく。
思えば最初から計画は破綻していたのかもしれない。
1週間前には準備しておくはずだったのにこんな時に限って在庫が捌けず、時間が作れなくて前日までなだれ込んでしまった。最初から諦めていればもう少し格好はついたか。
今更後悔しても遅いが。
「OK、白状しよう、」
「……浮気?」
「おい、バカ言うな、俺にはナマエしかいない」
「じゃあなにこの格好」
両手を上げて無罪をアピールしたら、相当不満だった様子のナマエは眉を顰めて俺のシャツのボタンを外しだした。
徐々にあらわになる胸にキスを落とし、やがてせっかく締めたベルトも解かれてしまう。それはそれで満更でもなく、早く触れて欲しくて立ち上がったそこは熱く主張していた。
「明日の誕生日に贈り物をしようと思ったが、サプライズは失敗だな」
「明日? ……私の?」
「ああ」
「買い物行くの?」
「そのつもりだった」
ナマエの好みの店には普段の俺じゃ入りにくい。
そう伝えた途端、ナマエはむき出しにしたそこにキスをしてせっかく下ろした下着を元に戻した。そこからはまた手際がよく、パンツのファスナーを閉めてベルトを留め、シャツのボタンをはめていく。
冗談じゃないと思いナマエの腕を引いて引き寄せ、耳元を甘噛みして囁いた。
「なあハニー、戻すなよ、しようぜ」
「買い物行くんでしょ、行こう」
「これは」
「それはいつでもできるから」
「おい」
ナマエの手をそこに導いてどうにかセックスに持ち込もうとしたが、ナマエのスイッチは完全にオフになっている様子で一切こちらになびかない。
そのかわり、とびきり嬉しそうに目を輝かせて「大好き」と言った。
「着替えてくるから待っててね」
「はー、わかった」
仕方ない、諦めよう。
ナマエの手を解放してやると、ナマエは自らの手でパジャマ代わりの幅の余ったTシャツを後ろでぎゅっと絞り、わざと体のラインを強調させた。下着をつけていないせいでいろんな物が透けて見える。
“しない”って言ったくせに生殺しにする気か。
からかい半分いじけ半分の気持ちで浮き立った乳首を弾いてやる。
「今夜は期待してね、ダーリン愛してる」
「こっちのセリフだ、あとで脱がしてやるから早く服着てこい」
極上のお誘いを断るわけがない。
サプライズは失敗に終わったものの、久しぶりのデートでナマエも喜んでくれるならそれはそれで良しとしよう。
夜までお預けを食らったそこを宥めながら、ナマエが着替えるのを待った。