メルル|食卓

「これ着て!」
「マジで言ってんのか」

ナマエは素晴らしい笑顔で俺にそれを差し出した。
カーキ色でシンプルなデザインではあるものの、それは今までの人生に縁のなかった代物だ。

「なあハニー勘弁してくれよ」
「なんでよ、普通に似合うやつ買ってきたのに、ほら立って!」

俺の拒否の言葉なんざ耳に入ってないかのように、ナマエは俺の後ろにまわるとバサッとそれを被せて後ろで紐を結んだ。
この歳で初めてエプロンなんかつけることになるとは思いもよらなかった。確かにナマエの誕生日に「なんでもしてやる」とは言ったが、こんなことになるとは。
ナマエはかつてなく楽しげに冷蔵庫から野菜だの肉だのを取り出しながら、俺を呼んだ。見慣れたエプロン姿のナマエは相変わらずキュートだが、俺がそれを着ていても滑稽なだけではないだろうか。

「メルルって包丁使えるの」
「バカにするなよ、それくらいできる」
「じゃあこれみじん切りにして」
「任せろ」

包丁なんて握るのは何年ぶりだろう。軍に居た頃の炊事当番だったのが最後なんじゃないか、一体何年前の話だ。思った以上に久しぶりだった。
それでも存外にできるもので、綺麗に剥いてあった玉ねぎは、思ったよりも早く細切れになってボウルに山になる。

「えっメルルって料理上手だったの」
「こんなもん料理って言わねえだろ、切っただけだ」
「でも綺麗に切れてるし早いよ」
「俺は器用なんだよ、知ってんだろ」
「やめてよバカ」

少しは褒めてもらおうと唇に迫ったのに、するりと躱かわされるや否やニンジンとブロッコリーを手渡され、一口大に切れと言われた。
そんなに楽しそうに言われては断る術はなく、それを受け取ると素直にカッティングボードに向かう。ナマエはさっそく俺が切った玉ねぎを炒め始めた。
いつもナマエが料理をしている時のいい香りが漂い始める。

「今日のメニューは?」
「ハンバーグ」
「ああ、いいね、楽しみだ」
「私は既にとっても楽しい」

今日は随分とキュートだ。
時々直視するのが恥ずかしくなるような顔で笑う。俺はごまかすように笑うしかできなかった。
さすが日課なだけあって、ナマエは手際よく調理を進めていた。俺が野菜を切っている間にも炒めるのと平行して湯をわかしたり調味料を合わせたり、見ているだけでも中々面白い。
横目で観察しながら野菜を切り終わると、その頃には玉ねぎも炒め上がってボウルに入れられた肉とスパイスに合わせられる。

「メルルが捏ねてね、混ざったらこんなくらいに分けて丸めてここに並べるの」
ナマエはボウルの中身をざっくりとひと混ぜすると、器用に肉を5等分にした。わかったよ、と言ってボウルを受け取って肉を捏ねる。肉が指の間に爪の間にまとわりついて気持ち悪い。
「鼻が痒い、」

手が汚れていて鼻が掻けない。
ああ、料理というのは不便なものだな。ナマエがくすくすと笑いながら鼻を掻いてくれたものの、なんだか余計にむずむずしてしまう。鼻をむずむずさせているとドアチャイムが鳴ったが、こんな手ではどうしようもない。

「私が出るから大丈夫、メルルはお肉よろしくね」

茹で上がった野菜の湯を切ると、ナマエはリビングの方に消えていった。
あのエプロンはナマエがうちに来る時に買ってきたものだ。シンプルな色味と形だが、後ろ姿には大きめのリボンが結ばれるデザインになっていて、ナマエによく似合う。
しばらくして戻ってくると、両手に紙袋を抱えていた。

「なんだそれ」
「お肉注文しておいたんだ」
「明日の飯か」
「そう」

手伝ってやりたいが、生憎それも叶わない。
ナマエは紙袋を冷蔵庫にしまうと、鍋にバターと砂糖を入れて火にかけて茹だったニンジンを放り込んだ。

「わあ、お肉ありがとう!」
「なかなかうまくできただろ?」
「うん、さすが、器用」

ナマエに言われた通りの5等分になった肉は、我ながら綺麗な楕円に成形できたと思う。その楕円は温められたフライパンに乗ると、ジュウと良い香りを放ち始めた。
いい加減、手にまとわりつく肉の脂が鬱陶しくなって手を洗う。手渡されたタオルで水気を拭うと、ナマエは「あとは私がやるね」と言って俺の手を取った。

「メルル、お手伝いありがとう」
「先にご褒美くれてもいいんだぜ?」
「後でね」

いたずらっぽく笑うナマエに手を引かれてリビングに連れ立つ。
焼ける肉のいい香りに後ろ髪をひかれるような気分だが、その後のことを考えると早く食事をしたい。慣れない事をしたから少し疲れたし、ナマエが完成した料理を持ってくるまでリビングで休んでいよう。

「おい兄貴、なんだその格好」
「ねえダリル似合うよね?」
「……」

キッチンから戻った俺が目にしたものは、まさかの弟の姿で、ハッと合点がいった。
肉を運んできたのはこいつだ。確かにナマエはダリルによく肉を頼んでいる。
しかし弟を呼ぶなんて聞いてない。確かに二人分にしては多いと思ったが。
呆然と立ち尽くしていた俺の背後にまわったナマエは、腰の蝶結びを解いて俺からエプロンを外した。

「メルルはもう座っててね、仕上げて運ぶから」
「……おう」

気まずいじゃねえか。
女といる所を見られるのなんてなんとも思わないが、女のために何かしている所を見られるのは妙に気恥ずかしいものがある。
ダリルだって俺を見ようともしないで、気まずげにテーブルの花瓶を見ていた。

「まあなんだ、似合ってたぜ」
「野郎に言われたって嬉しかねえよ」
「……今日の飯、兄貴が作ったのか?」
「手伝いだけな」
「ふーん」

心なしか嬉しそうな気がした。
そういえば、随分昔、もう何十年も昔にガキのダリルに飯を作った覚えがある。

「おまたせー!」

妙に静まり返ってしまった空気の中、ナマエが料理を乗せたプレートを持って現れた。それぞれの前に配膳されたそれは俺が数十年ぶりに作った料理にしては良い見た目をしていて、それなりに食欲をそそった。

「メルル、今日はありがとう。ダリルも来てくれてありがとう」

ナマエは本当に嬉しそうに笑った。
可笑しな格好をさせられてしまったが、こんな日も悪くないと思う。

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