憂鬱で仕方ないが、今日は週に2回のアパートの庭掃除の日だ。
これも大家の仕事だと思って我慢しているものの、唯一の住人に遭遇しやしないかといつも肝を冷やしている。
郊外、狭い、古い、汚い
と、色んな悪条件が重なったアパートには、滅多に借家人も居着かないのだ。
だから大事にしなきゃいけない。頭ではわかっている。
「よお、お嬢ちゃん調子はいいかい?」
「……まあまあです」
開始早々5分で心が折れた。
遭遇してしまった。昼間からアルコール臭をまとわせて、時折しゃっくりのような吐息を漏らす姿は、明らかに酔っぱらいそのものだ。
会いたくないと願掛けするものの、その実、2回に1回は遭遇している。つまり週1回は会っている。
で、毎回この調子なのだ。
毎月きちんと家賃を支払ってくれているから文句はないが、昼間からここまで泥酔するとは一体どんな生活をしている人なのだろうか。
「俺は今サイコーの気分だぜ」
「それは、なによりです」
「お嬢ちゃんも一緒に飲まねえか?」
「いや、仕事中なんで」
「つれねーなあ」
部屋の入口の段差の縁に腰掛けた彼は、昨日博打で大儲けしてハッピーだという話を始めた。
いつもこうして勝手になにか話し始めるけれど、私は頷きもせずただひたすらに彼に背を向けて庭の掃き掃除を続ける。
シケモクまで吸い尽くしたような煙草のフィルターだけがそこら中に転がっていた。こうなり出したのは明らかに彼がここに住み出してからである。
まとめたゴミを袋に詰めて、掃除道具を寄せた。
「……あの」
「なんだ?」
「煙草のこれ、捨ててますよね」
「へへ、」
「ゴミは自分で処理してください」
「やなこった」
「!」
俺のじゃないのも混じってる、と屁理屈をこねた彼は、ちょいちょいと手招きしながら私を呼んだ。さすがに会話自体は初めてじゃないものの、入居ぶりくらいに会話らしい会話をしている。まあ、彼は一方的に私に話しかけてはいたけれど。
隣に座れと促されるままに、彼の隣に腰掛けてしまった素直な自分に驚いてしまった。
「アジア人か?」
「日系2世ですけど」
「初めてアジア人を綺麗だと思った」
「えっ」
これはまさか口説かれているのか?
ぎょっとして勢いよく彼の方を見たら、バーカウンターにそのまま置いてありそうな大きな酒瓶に直接口をつけて舐めるように飲んでいた。
瓶から口を離しても私の方を見ることすらなく、少し遠くの森を見ている。その目は思いのほか優しそうな目をしていて、風体だけはどう見ても関わりたくないタイプのそれだというのに不覚にも少し素敵な顔立ちだと感じてしまった。
整っているというよりは味があるという顔立ちは、独特な哀愁を纏う表情とよく似合う。
管理人と借家人を超えた関係になりたいなどとは思わないけれど、必要以上に構えていたことにちょっとした申し訳無さを感じた。
「昨日のポーカーは最高だった」
「それはさっき聞きました」
「なんだよ、聞いてるなら返事くらいしろよ」
「仕事中なので」
つまんねーなあ、と小さな声が聞こえた。
子供みたいに手に持った瓶を地面にザラザラと擦り付ける音がする。
「ディクソンさんが煙草捨てなければこんなに掃除する必要ないんですよ」
「掃除しに来いよ」
「……」
「まともな話し相手なんてあんたくらいしかいねえからよ、」
少し気まずくて彼の顔を見られずに俯いていると、突然目の前に花束が現れて面食らう。
花“束”というには忍びない本数ではあるけどきちんと包装された花束だ。
「え、これ」
「いつも話聞いてくれる礼だよ」
「私そんな」
「花屋なんか初めて行った、1番綺麗だと思った花にした」
「……ありがとうございます」
話なんて、本当に聞いているだけでいつもは返事なんかしたことないのに。
盗み見るように彼の表情を伺うと、やっぱり私の方は見ていなくて、ただぼんやりと森を見つめていた。
殆ど初めてした会話らしい会話は、思ったより嫌じゃなかった。
「たまには1杯付き合ってくれてもいいんだぜ?」
「……ちゃんともてなしてくださいよ」
「ペカンナッツとウィスキーなら」
意外そうに私を見たディクソンさんは、片眉を上げてにやりと笑い、酒瓶を傾けた。
真昼間からナッツとウィスキーなんて飲む気にならなすぎて、思わず笑ってしまう。
「仕事が終わったらね」
「早くしろよ」
日が暮れるまで、あと数時間。
どうせなら夜からゆっくり彼とお酒を飲んでやろうか。