珍しく早朝に目が覚めた。夏も間近とあって、まだ5時だというのにカーテンの隙間からは朝日が漏れている。そのままカーテンを開けて外を見れば、昨晩の雨の気配がそこかしこに見えた。
この屋敷で生活するようになって以来、自然の気配を感じるのがとても幸せに思うようになった。宮瀬さんが手入れした庭はいつ見ても素敵だ。二階の窓から覗くだけでもその素敵な魅力が……
「……ん?」
その宮瀬さんが手入れした庭の一角からもくもくと白い煙が上がる。
え、火事? 放火?
ふと脳裏をよぎる事件の予感に、椅子にかかっていたカーディガンを羽織って部屋を飛び出した。煙が上がっていたのは紫陽花の植え込みのあたりだった。
確かこの辺だったはず。
「宮瀬さん……?」
「おや、おはようございます。ずいぶん早起きさんですね」
「宮瀬さん、も、早起きですね」
「変な時間に目が冴えてしまって」
てっきりなんらかが燃えている危険な状況を想定していたのに、拍子抜けしてしまう。
そこにいたのはいつもの薄い桜色のカーディガンを羽織った部屋着姿の宮瀬さんで、植え込みの手前にうずくまってその片手から例の白い煙を大量に吐き出していた。
傍らに置いてある数本の束を見て、やっとその正体が花火だと気付く。季節外れ、というより、先取りしすぎなこの状況に言葉に詰まった。
「花火」
「ああ、これ。昨年の夏にみんなでやった余りです。処分しようと思ったんですけど、このまま水に沈めてしまうのはなんだかかわいそうで」
宮瀬さんらしい言い分に思わず微笑んでしまう。
白い煙が薄くなると宮瀬さんは水を張ったバケツにそれを放り込んで、手招きをした。思わぬお誘いに嬉しくなり、すぐに隣に膝を抱くようにしてうずくまる。
その頃にはもう新しい花火の先がろうそくの火にかざされていた。
「結構時間がかかるんです」
「そうみたいですね、でも、きれい」
「ふふ、僕もそう思います」
炙られた派手なピンク色の穂先はチリチリと黒ずんでいるのに、古いせいかなかなか着火に至らない。
朝の空気の中でゆらめくろうそくの炎を二人で眺めるというシチュエーションが、どうにも現実味がなくて不思議な気分だった。
「あ、ナマエさんもやりたい?」
「はい」
「ごめんなさい、ダメです」
「ふふ、意地悪ですか」
「違いますよ、古い花火は暴発したら危険ですから。僕が持っているので、ナマエさんは見ていてくださいね」
肌寒い空気と湿った庭、小さな炎のろうそく、火のつかない花火。すべてが宮瀬さんのために用意されているかのような佇まいに飲まれた。
いつもなら優しく包み込むみたいな笑顔も、今日はなんだか妖艶で心臓を掴まれるような気になる。
「ぼ、暴発したら宮瀬さんも危険ですよ」
「僕は平気ですよ、男なので」
こんな時に“男”なんて言わないでください。
などとは言えるわけもなく、なんかすみません、と俯いて小さくなることくらいしかできなかった。
私が気まずく俯いていると、ジジジ、と音を立てた花火が勢いよく火を吹き出す。
「わっ」
びっくりして身体全体で避けると、その勢いで宮瀬さんの腕にぶつかってしまった。
宮瀬さんはぴくりともせずしっかりと地に足をつけたまま、私の腰を支えてくれる。見ようによってはなかなか際どいところに触れていると思うのに、変ないやらしさがないのは宮瀬さんだからこそなのか。
「ほらね、危ないでしょう。ナマエさんは僕の隣で見ていてください」
「はい、すみませんでした」
「僕は大丈夫ですよ、気をつけて」
「はい」
私が体勢を立て直すと腰のぬくもりはそっと離れ、ふいに名残惜しさを感じた自分が恥ずかしい。
支え合うように少しだけ触れ合ったお互いの腕は何枚もの布越しで、ぬくもりまではわからなかった。このもどかしい距離感を保つ宮瀬さんの真意も、同じようにわからない。
「あ、そうだ、皆さんには内緒にしてくださいね。僕とあなただけの秘密です」
「え」
「羨ましがられちゃいますから」
「え、はい、秘密」
「ふふ、そう、秘密」
穂先の火花は黄からピンクに色を変えた。
いくら宮瀬さんにいやらしさが無くたって、中途半端な距離だって、否が応でも私の心臓は早鐘を打ってしまうのだ。