関さんがLIMEを始めた理由

昼休憩頃に庁舎に戻ると、何やら盛り上がっていた夏目と青山が俺を見て無言になった。ぼんやりとこちらを見つめる二人の表情にむずむずした気持ちになる。

「何かあったのか?」
「いえ、関さんって同窓会とか行くのかなと思って」
「同窓会?」
「同窓会って言っても招待状が来るようなちゃんとしたやつじゃなくて、仲良かった同級生同士で集まろうってやつですけど……」

聞けばやや規模の大きな集まりでも企画から出欠確認まですべてLIMEで完結してしまうとかなんとかで、便利な世の中になったなという会話で盛り上がっていたらしい。
LIMEといえば今や若者どころか渡部でさえ使っているメッセージ?アプリだが、なんとなく自分のスマホにはインストールしないまま今まで過ごしてきていた。
仕事上のやりとりはすべて仕事用のスマホでなんとかなるし、日常的にプライベートで連絡を取る相手は数人程度しかいない。端的に言えば必要性を感じなかったわけだが、二人の話を聞いていると確かに複数人で情報をやりとりするにはとても便利だ。

「そういえば関さんはLIMEしてませんよね」
「一対一のコミュニケーションならメールや電話で十分かな」
「使い始めればLIMEも結構便利ですよ」

夏目が自分のスマホを操作してLIMEの画面を見せてくる。
先程のスケジュールのやりとりや、個人やグループの違い、アルバム機能やちょっとしたお遊び機能。自分が認知していた以上に充実した機能に面食らう。

「とてもすべて使いこなせる気がしないな」

やっぱり俺はいいや、そう言いかけた時、青山が「俺も使いこなせていません」とフォローを入れた。

「俺だって全部は使ってないですって。若い子はカップルとか友達同士でいろいろ共有したりしてるんじゃないですか?」
「逆に多忙な大人だからこそ、っていう考え方もできるかも知れないな。スタンプなら文章を打たなくてもメッセージが伝わるだろ?」
「え、樹さん、そんな仲になる女性の予定が?」
「そんなこと言ってないだろ、俺はただ──」

二人の言い合いを聞いているうちに午後の業務を始める時間になり、その場はそれで収まったのだが。
残業を終えて一人で自宅のソファに座っていると、彼女からメールが届いた。毎日のおやすみメールには絵文字も写真の添付もない。夏目が誘われていた同窓会のグループLIMEには絵文字や写真、地図の添付に動くイラストなど、利便性を伴った装飾がたくさんあったが、彼女もLIMEではあんな感じなんだろうか。
彼女に「お疲れさま」と「おやすみ」と、彼女の雑談への返事、そして言える範囲での今日あった出来事、書きたいことを少しずつ書いてメールを送信する。彼女がこのメッセージを読むのは今なのか、果たして翌朝なのか、それは俺の知る所に無い。LIMEならメッセージには未読と既読の表示があって、返事がなくても「目を通したかどうか」くらいの目安にはなるようだ。

今までメールと電話で不足を感じたことはない。
彼女ができるまでは携帯なんか電話できれば良いと思っていたくらいだし、今だってメールのやりとりは彼女専用アプリと化している。
必要以上に複雑な機能は使いこなせないし、機能に振り回されるのは本末転倒だと思う。俺はただ連絡を取りたい相手とシンプルに意思疎通ができれば良いだけで。
彼女から気軽に写真を送ってほしいとか思い出の写真を共有したいとかほんの数分の息抜きの隙間にスタンプを送ったり既読を確認したりして和んでみたいとか、そんなことは少しも。

少しも思っていないわけがない。ずっと青山の言葉がひっかかっていた。忙しいからこそ、便利な機能を活かせばいい。本当にその通りだ。
お互いの不安や負担が少しでも軽くなったり、温かい気持ちになることが増えたり。たかがアプリひとつで心の充足感が生まれるのなら、頑なに拒む方が馬鹿らしい。

アプリストアでLIMEを検索してサンプル画面を眺める。昼間夏目が操作していたのと大差ない賑やかな画面。
「やっぱり俺はいいや」と言わなかったことに、少しほっとしている自分がいた。そしてそのまま数分迷って、深夜1時を回った時計を見ながらダウンロードボタンを押していたのだ。

……三十路も過ぎた男が急にLIMEを始めたらおかしいだろうか。夏目や青山にばれたら気まずい気がする。
妙な気恥ずかしさを覚え、インストール中のスマホをソファに投げてキッチンに向かうと冷えたビールを一気に飲み干してまたソファに戻る。
その頃にはもうインストールが終わっていて、ホーム画面には新しいアイコンがひとつ増えていた。LIMEと表示された緑色のアイコンをタップして、画面の指示のままに「次へ」を進めていけばあっという間に登録が完了した。

「あ!?」

真夜中にも関わらず大きな声を出してしまい、誰も聞いていないだろうに咳払いでごまかす。
しまった、電話帳の同期のチェックがあったか。その項目を見逃していた。始めたばかりだというのに友達一覧には見知った名前がずらりと並ぶ。
その上、慌ててまごついている間にハヤトからメッセージまで届く始末で早速頭を抱えた。これってつまり、夏目や青山どころかその他俺のプライベート番号を知るマトリのメンバー全員に知られたということだろう。穴があったら入りたい。恥ずかしすぎる。
それにしてもまさか初メッセージがハヤトとは。どうせインストールするのなら初めてのメッセージは彼女とのやりとりにしたかったのに。ハヤトには悪いがひとまずそのメッセージは放置して、友達一覧から彼女の名前を探す。

「……ナマエ」

俺の電話帳に登録されている人数は決して多くはない。俺より先にLIMEをしている人となると更に人数は限られて、彼女の名前はすぐに見つかった。彼女の名前の左側に表示されているアイコンは、二人で行った水族館で撮影した魚の写真だった。
俺の知らない所で俺を思っている君のことを考えると、なぜもっと早くこういう形で寄り添うことを思いつかなかったんだろうと少しばかり後悔する。
彼女の名前をタップすると、俺と彼女のトークルームが表示された。何も表示されていないまっさらなページに最初にメッセージを送るのだ。何を書けばいいのだろう。さっき「おやすみ」と言った相手なのに。

散々迷った俺は、文字だけで「関大輔です、LIME登録したよ」と送るのが精一杯だった。スタンプとか写真とか、そんなものを楽しむ余裕はまだない。不甲斐ない男だ。そんなメッセージなら明日送ればよかったじゃないか。何もこんな夜中に送らなくても。
送ってしまった達成感やら羞恥心やらほんの少しの後悔やらで再びソファにスマホを投げ、ビールをもう一本開けようかどうしようか悩んでいると、スマホから聞き慣れない呼び出し音が流れてくる。どうせハヤトが返事の催促の通話でも掛けてきているんだろう。呼び出し音が途切れると、庁舎でもよく耳にするLIMEの通知音が聞こえた。

悪いなハヤト。そんな気分になれないんだ。
やっぱりもう一本飲もう。冷蔵庫からビールを取り出してソファに戻り、ため息をついてから画面を確認する。

「えっ」

ナマエだ。トークルームには『既読』の文字と不在着信。
まだ起きてたのか、早く寝なさい。いや、もしかしたら俺が起こしたのかも知れない。謝罪のメッセージを入れておこうか。でも通話を掛けてきたということは少しくらい声を聞いてもいいんじゃないか。
まだスクロールするほどもないトークルームの中身を見ながらああでもないこうでもないと考えていたら、新しいメッセージが表示された。

『こんばんは、大輔さんとのLIME楽しみにしています。おやすみなさい』

それに続いて「また明日!」とメッセージが添えられた可愛らしい犬のようなイラストが届く。これがスタンプというやつか。
寝てしまう前に少しだけ声を聞きたい。
LIMEならメールと電話のアプリを切り替えなくてもこの受話器マークをタップするだけですぐに呼び出せる。どうしよう。
そんなふうに悩む間も惜しく、俺の親指は君への通話を発信していた。

「もしもし、ナマエ?」

タイトルとURLをコピーしました