秀さんは当直帰り

目安と言われた帰宅時間を半日ほど過ぎた所で、ドアロックが外れる音がした。圧力で部屋のドアが震え、それに少し遅れて玄関でガサゴソと物音が鳴る。

「おかえりなさい!」
「……ナマエちゃーん」

慌てて読みかけの本にしおりを挟んで玄関に飛び出していけば、まさにクタクタといった様子の秀さんがふにゃりと笑った。
その表情がなんとも庇護欲をそそり、今すぐ抱きしめてしまいたくなる。そんな私の様子はお構いなしに、靴を脱いだばかりの秀さんは私をぎゅうっと一瞬だけ抱きしめて「あっちで待ってて」と言って自室に消えていってしまう。
当直明けの定時上がりなら「一緒にランチでも」という約束だったけれど、当然そんな甘い現実があるわけでもなく、結果的には今の時間である。まあ、よく言えば夕方だ。悪く言えば夜だけど。
先にリビングに戻って夕飯について考え始めた頃、背後から再びあのたくましい拘束が私の行動を制限した。

「遅くなってごめんね?」
「謝らなくたっていいんですよ、それが秀さんのお仕事ですから」

所属する課が違っても、私だって警察官の端くれだもの。一度や二度というレベルでなく、毎度毎度のように約束の時間が守られない事もわかっている。そもそもその約束とやらが、“約束”と呼べるようなものかどうか。私が破る事だってあるし。
だからこうして「会おう」と言った日にただ会えるだけで、それだけで……

「えー、やだやだ、俺はもっと一緒にいたいよ。仕事のことは置いといて、ナマエちゃんと一緒にいたーい」

会えるだけで十分だ。
などと物分りの良いふりをする私の外殻をぶち壊すかのごとく、秀さんは私にまとわりついて駄々をこねる。
これが秀さんの本音なのか冗談なのか、正直私にはまだわからないのだけれども、こうしてストレートに表現してくれる秀さんに何度助けられたかわからない。
秀さんが駄々をこねてくれるから、私は答えられる。

「私も一緒にいたいです」

背を押されるがままにソファに座ると、秀さんは私の膝を枕にしてその上に寝転んだ。
さらけ出された額に手をのばすと、骨ばった手が私の手首を掴む。

「ごめん、汗かいてるからベタベタするよ。既に寝転がっておいてなんだけど」
「そんなのいいんです、触っちゃ駄目ですか?」
「……ずるいよ」

掴まれた手首に秀さんの唇が押し当てられ、ゴリッとした痛みが走った。あ、噛まれた。と思ったそばから労るようにあたたかくて柔らかい舌が這う。

「秀さん、えっちですね」
「疲れてるのかなー、ナマエちゃんとエッチしたい」
「直球ですね」
「でも眠い、ごめん。……はー、やだねー、おじさんは」

私の手は秀さんの胸に降ろされて、そのかわりに秀さんの手が私の頬に伸びた。眠そう。目を細めて夢でも見るように微笑んでいる秀さんは、何度か私の頬を撫でた後に首の後ろに手のひらを回してそのまま引き寄せた。
触れるだけのキスはじんわりと温かい。どことなく秀さんの体温もいつもより高い。眠いからだろうか。秀さんは眠くなると体温が上がる。赤ちゃんみたいな秀さんが愛しくて胸元に置いた手をぽんぽんと軽く上下させてみる。

「駄目だよ、本当に寝ちゃうから」
「じゃあベッド行きませんか?」
「ナマエちゃんのエッチ」
「えっちしてもいいですよ」
「……こんな日に限ってそんなかわいいことを言いやがる」
「行きましょう?」

今度は私が秀さんの背中を押す番。寝室に秀さんを押しやった。シャツとスラックスのままでは寝苦しかろうと思い、上のボタンから順番に外していく。シャツの間から見える肌着が好きだ。生活感を感じるから。
つい夢中になってあっという間に下まで外し、大胸筋から肩に向かって手を滑らせてシャツを脱がせた。一見華奢げに見える秀さんだけど、やっぱり刑事というだけあって体幹は鍛えられている。私程度が少しどついたくらいじゃびくともしなそう。……好き。
だめだめ、本格的に欲情してしまう。
不埒な思惑を振り払うように、秀さんに背を向ける。よし、あのままでは目に毒だし、何か着てもらわないと。

「……ナマエちゃん」
「あ」
「なんで今日はそんなにエッチなことばっかするの?」
「なんのことやら」
「俺すんごく眠いのに」
「あの」

あ、あた、当たってますけど。その、下半身のそれが。私の身長を優に超える秀さんに羽交い締めされ、明確に熱を持つ塊が尾てい骨に沿うようにぴったりと寄り添った。

「今日は満足させてあげられないよ、もどかしくて気が狂いそう」
「別にそれを望んでいたわけではないんですけど」
「思わせぶり!!」
「だって秀さんに触れたいって思うのは仕方ないじゃないですか」
「……そういう所だよ、ナマエちゃん」

次の瞬間には投げられるようにして、視界にはもう秀さんの顔しか存在しなかった。今の私はどんな顔をしているだろう。あんまり立派な顔はしていないと思う。
ちゅっちゅっ、とわざとらしく音をたてながらキスをすると、首の後ろに腕が潜り込んできた。

「間を取って、今日は一緒に寝るっていうのはどう?」
「私もそうしたいです」
「ごめんね、体力なくて」

横目で秀さんを盗み見るようにすると、既にまぶたを閉じている。相当疲れているみたい。多分この時間に帰ってきたのだってそれなりに無理をしたはずだ。最近は忙しいって菅野くんが言っていた。
デートをしたりおしゃべりをしたり、そういうことはできないけれど、こうやって寝顔を眺めるっていうのは結構嫌いではない。でも。

「……明日えっちしましょうね」
「こらナマエちゃん、悪い子」
「駄目ですか?」
「ううん、エッチなナマエちゃん大好き。でも今日は」
「わかってますよ、おやすみなさい」
「……ん、おやすみ……」

うわ言のように「好きだよ」と言った秀さんに返した「好きです」の言葉は、耳に届いているかどうか、もうわからなかった。

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