“籠の鳥”になって早数ヶ月、体感では一年くらい経ったのではなかろうかと思うほど暇である。
なんせやることが無い。それはもう、食っちゃ寝もいい所だ。
しかもその『食』と言ったって未だに何が正解なのかよくわからない。最初に渡されたケータリングや出前のメニューから彼のクレジットカードを使って注文するだけの簡単なお仕事だ。
そうだ。正解不正解の話で言えばこの生活自体、自信がない。愛人と言うからには肉体関係があるんだろうと踏んでいたが、そんなこともない。
色っぽい事もあるにはあるが、少し弄ってそれでおしまい。
肉体関係を求められていないのか、それとも私の魅力が不足しているのか、もしそうだとすればこのクレジットカードを使うことすら正解かどうかもわからない。
つまり、私は自分の価値がよくわかっていない。
肉体関係を求められるわけでもない、頻繁に会いに来るでもない、ただ放っておかれているような私の価値とは。
それはそれとして、単純に時間がもったいないと思うこともある。
この立場を選んだ時点である程度の自由がなくなることは覚悟していたけれど、それがどこまで奪われているのか、それがわかればもう少し上手に時間をやり過ごせるはず。
ピピッ
先程から煮詰まってしまった私の気持ちを察するかのように、玄関のロックが外れて彼の訪れを知らせる。
始まったばかりは部下の人を引き連れてきていた彼も、今はこうして一人で現れるようになった。
「元気か」
「はい、元気です」
事前に聞いていた予告通りに現れる。そういえば遅刻したことも早く到着したこともない。いつもぴったりの時間に現れる彼は、いつも隙のない姿をしていた。
約一週間ぶりに会った彼は変わった様子もなく、元気そうで胸をなでおろす。
「今日は茶を飲みに来ただけだ、あれを淹れてくれ」
「はい」
私が気に入っていた紅茶。それは私のような庶民にとってはちょっと頑張った紅茶だったけれど、彼からしてみれば大した価値もないただの紅茶だったと思う。それでも彼は気に入ってくれて、そんな些細なことが嬉しかった。
もちろんプロでもなければ作法を習ったわけでもない、素人が淹れたその紅茶を、彼は今日も文句ひとつ言わず飲んでくれた。
「あの、ひとつご相談があります」
「なんだ」
「外出許可をください」
「ああ?」
彼の眉が一気に釣り上がる。怒らせてしまっただろうか。初めてだ。どうしよう。気を抜けばこの動揺がすぐに表に出てしまいそうだった。だけどそれはおそらく得策ではない。
彼に怯えるくらいなら最初からやるべきではないのだ。
問題は「なぜ怒ったか」である。
余計なことを話して墓穴を掘るのは嫌なので、こういうときはひたすら黙るに限る。まっすぐ彼を見据えて次の言葉を待てば、彼はしびれを切らしたように口を開いた。
「一人で出掛けるつもりか」
「もちろんです」
ここに来ると決めたとき、人間関係などすべて精算したつもりだ。
友達など要らないし、ましてや異性の交友関係なんて。
「それは許可できん」
「……」
半分くらいは理解していたけれど、きっぱりと却下されてしまうと思いの外辛いものだ。これからどうやって時間を潰して生きていけば良いのだろう。
四六時中、あなたのことを考えていたら、それこそ苦しくて死んでしまう。
「お前一人で外出など、不用心な真似をワシが許可するわけにはいかん」
「はい?」
「馬鹿者、二度も言うか。一度で覚えろ。大体なぜここまでセキュリティの高いマンションに住まわせているか考えてみろ」
なかなかにキレてしまった彼は、つばを飛ばす勢いでそうまくしたてた。
それはつまり、私の身を案じてと?
「軽率でした」
「わかれば良い。外出したい時はワシの部下を呼べ」
「え」
「部屋には上げるな。必ずコンシェルジュのいるロビーで会え。お前は絶対に運転するな」
きつく睨みを効かせ、ギラリと欲望の孕んだ瞳が私を捉える。肉食獣が獲物を仕留める手前のような顔つきに、ハッと息を呑んだ。
ろくに返事もできなかった私を見た彼は、苛立った様子で杖の先をドンと床に叩きつけ、その先端をゆっくりと私に向ける。
「お前は誰のものだ?」
「私、は、和尊さんのものです」
「そうだ、お前のすべては俺の所有物だ」
「はい」
「所有物が勝手に奪われたり壊れたりなどしようものなら、わかっているな」
「はい」
所有物。
彼がそう言った。はっきりと言い切られた今、私はただどうしようもない安堵感に包まれていた。
価値なんか考える必要がないのだ。だって私は彼の所有物なんだから。
彼の持つものはなんだって一番大切だ。彼を包む高価な着物も、毎日使う杖も、気分で使い分ける扇子も、私の部屋で飲む紅茶も。全部彼が選んで彼が手に入れた彼の所有物だ。
「なんだ発情か、どうしようもない女だな」
ふん、と鼻を鳴らした彼はどこか上機嫌な声色で呟くと、その唇が再びティーカップに触れる。
また、あの何の変哲もない紅茶を飲んでくれた。
私はきっと、私が選ばれたような気がして嬉しかったのだろう。
飾り気のないその紅茶の「美味しい」というただそれだけの本質を選んでくれたようで、彼がなんの取り柄もない私を選んでくれたようで、嬉しかったのだ。
たかが数回しか触られていないというのにもかかわらず、こみ上げる気持ちを止められずに呼吸を荒くしてしまう。
またあのときのような熱い感情を彼が引き出してくれるかと思うと、それを抑えることなど不可能に近い。
「時間がない、早くベッドに行け」
さっきまでうじうじと悩んでいた私はどこへやら、高鳴る胸を落ち着かせるように深呼吸をしてから一言、はい、と返事をしてベッドに向かった。