「おはようございます」
私の隣で静かな寝息を立てるクロコダイル様は、ひとつも動かずに眉間にしわを寄せたまま目を伏せていた。
辛い夢でも見ているのだろうか。クロコダイル様は、起きていても、寝ていても、いつも眉間にしわを寄せている。
セックスのあと、腕枕をして、私が眠るまで頭を撫でてくれるこの腕が愛しい。顔は怖いけれど、存外優しいお人なのだ。
こうして私の意思のままに触れ合えるようになってどれほどの時間が経っただろうか。何度も体を重ねあわせているのに、まるで慣れない彼の裸はいつ見ても見惚れてしまう。
この眉間のしわがなくなるような時は来るのだろうか。
ちょん、と眉間をつついてキスをすると、ふいに腕を引っ張られて布団の中に引きずり込まれてしまった。
「お、起きていたんですか!?」
「お前に起こされた」
「すみません、もっと寝ていて下さい」
まだ何も用意していないので、としどろもどろに答えると、クロコダイル様の胸に引き寄せられて呼吸さえも苦しく感じる。押し付けるように頭を撫でられて、苦しい呼吸が少しずつ穏やかになっていくようだ。
お仕事中の事はよく知らないけれど、屋敷にいる時のクロコダイル様はとても高圧的で、気むずかしいお人だ。
正確には、そう思っていた。だけど、こうして間近で過ごしてみれば、なんとも寂しがりやでかわいらしい方だと知った。
「今日は休日だが。あー、お前も休日だろう」
「私に休日はありませんが」
「……お前には休日もないが、自由もない」
「ええ、そうでしたね」
ほら、なんてかわいい駄々のこねかた。
私がクロコダイル様の胸に顔を押し付け、キスをするのは許された意思であり、命令でもあるのだ。
幸せ以外のなにものでもない。そのかわいいお顔が見たくて、腕の中からそっと見上げると、クロコダイル様は私にキスを落とした。
「どうせ起こすのならこうやって起こすくらい、してみせろ」
「努力します」
クロコダイル様の体ごとごろんと転がると、私はその大きな体の上に寝そべるようにして抱きしめられる。頭から臀部にかけて優しく撫でられると、自分がクロコダイル様のペットになったように思う。
だけど私はペットではない。猫のように軽い生き物でもないのだ。油断して全身を預けてしまっている事が急に恥ずかしくなってきた。
重くないだろうかと思って、そこから退こうとしたけれど、がっしりと捕まえられてしまった。
「お前」
「すみません、重くないでしょうか」
「フン」
クロコダイル様はヘッドボードに枕を寄せてソファのようにすると、そこに上半身を寄せてバカにしたように私を見下して鼻で笑った。
「愚問だな」
「そんな、だってクロコダイル様が同じ食事を摂るようになんて仰るから、太ったんです」
同じ部屋で眠るようになって、すぐに私の生活は一変したのだ。
クロコダイル様がお屋敷にいらっしゃる時は、お仕事の時以外すべて同じ空間で過ごす事になった。こと入浴や食事のようなプライベートな面はほとんどがクロコダイル様と一緒に過ごしている。
クロコダイル様と同じ時間を過ごすということは、クロコダイル様と同じものをいただくということだ。もちろん食事だって高級な食事をフルコースで頂いている。
フルコースはカロリーが高い。しかも美味しい。食事の誘惑にも負け、クロコダイル様と過ごせるという喜びにも負け、すべてに負け続けた私は順調に肥えていた。
「ダイエット、しないといけないんです」
「元の食事に戻りたいか」
「えっ」
まかないを食べている時は、いつも一人だった。皆が食後の一息をついている頃、やっと腰をおろして厨房の隅で一人でフォークの音を響かせていた。
「嫌」
「ん?」
「クロコダイル様と一緒がいい、です」
「最初から素直でいろ」
「……はい」
恥ずかしい。
見透かしたようにニヤニヤと笑うクロコダイル様と目が合った。首元に抱きついてしまえば、顔が見えなくなる事は、クロコダイル様と一緒に過ごしている中で新しく知った事だ。
「でも私、クロコダイル様がお好みのプロポーションになりたいです」
「おれがいつ好みの女の話をした」
「だってサンデーさんもバレンタインさんも素晴らしいプロポーションですよ」
「おれの好みがあいつらだとでも」
「え、違うんですか」
てっきり好みの女性を集めていると思っていたけれど、クロコダイル様の反応からして違うのだろうか。
クロコダイル様は私を抱きながら、サイドテーブルに置いたままになっていた水を飲んだ。
「おれが雇う女がおれの好みだというなら、お前はどうなんだ」
「そそそそんな事あるわけないじゃないですか、だって、そんな」
私は、クロコダイル様に比べれば子供だし、背だって見合う丈もなければ、プロポーションだって、超がつくほど普通なのだ。
何の特徴もない私を、クロコダイル様が好むわけがない。
大体、そんな、身に余る事があろうものなら、私は
「死んじゃいます」
「クハハ」
「笑い事じゃないです、だって、そんな」
夢みたいな事。
でも、こんなふうにクロコダイル様の上に寝そべる事自体、既に夢のようだ。少し前では考えられない。
クロコダイル様の胸の上から、そっと表情を覗き見ると、楽しそうな意地悪そうな笑みをたたえていた。少しばかにしているようなその笑みを向けられると、惨めになって恥ずかしくなって、だけど体の奥がカッと熱くなるような不思議な気持ちになる。
「好みの女なんて居やァしない」
「そうなんですか……」
それはそれで、少しさみしいけれど。
「私の見た目は、駄目では、ないですか」
「別に」
「じゃあ好きですか」
「お前いつからそんな口聞けるようになった」
ん?
と、片眉をぴくりと動かしたクロコダイル様がコップを置いて手のひらを絡めとった。もう片方の手で顎を突き上げられる
「す、みませ、んぅ」
ぐいっと引き寄せられてキスをされる。手段はいつも強行的なのに、その手つきや舌使いはいつも優しい。
クロコダイル様の舌に溺れていると、ぐるりと視界が反転し、私はクロコダイル様の下で身悶えた。
「っは、……でも、少し気になって」
「お前はただの小娘だ」
「し、知ってます! だから、お好みでは、ないのかなって……」
「それ以上でもそれ以下でもない」
至近距離でじっと見つめられて、現実を突きつけられる。
本当は少し期待していた。
「かわいい」だとか「きれい」だとか、お世辞でも言ってくれるのではないかと。ウソでも「好きだ」と言ってくれるのではないかと。
毎日同じ時間を過ごして、同じ布団で肌を合わせて寝ていると、すぐに勘違いしてしまう。
「それに、お前は極めて平均だ」
「は、い」
人差し指が私をなぞる。
ワンピースのパジャマをたくし上げ、下着を身につけていない胸に、乾燥した手のひらが触れた。胸全体をぐっと鷲掴みされて、乳首を摘まれると、思わず喘ぎ声が漏れてしまう。
そして彼はそんな私を余裕の表情で見下ろす。
「ここも、ここも、」
背けていた気持ちを追い立てられるように、手のひらで触れながら耳元で囁かれた。
胸も、腹部も、太ももも、私の体すべてが、クロコダイル様にとって“普通”なのだ。ひとつひとつ向き合うたびに、悲しい気持ちしか湧いてこない。
私の足の間に割って入ったクロコダイル様が、そこを押し広げてぺろりと太ももを舐めた。
こうして一緒に居られるだけで幸せなはずなのに、次へ次へと求めてしまう。あまつさえ、気持ちなんて求めた所で、仕方ない事なのに。
滲んできてしまった涙を、鉤爪をしていない腕の先が拭った。
「こんなにつまらん女を、たかが性欲処理ごときでおれが抱くと思っているのか」
「え……」
「毎晩同じ布団で女と寝るなんて、まっぴらだな」
「それって、どういう」
意味ですか
喋る前に口を塞がれていた。片方しかない指先で、優しく顔の輪郭をなぞって、頭を抱いて。無意識のうちにクロコダイル様の背に腕を回して抱きついていた。
「意味はわからなくたっていい。お前に自由がないことだけ覚えておけ」
「はい」
甘えるように首にすがりつくと、そろそろ起きる、といって、クロコダイル様の体は砂になって消えた。