Diamànte:最後の歯車

「緊張しているのか、カカカ、まあ良い、こちらに座れ」
「は、はい」

引きつった表情筋が今にもちぎれんばかりである。
ああ、胃が痛い。
無理するんじゃなかった。
いくらお金のためとは言え、やっぱり性に合わないことなんかするものじゃない。
とは言え、手渡しで報酬が貰えて風俗じゃなくて単発で夜中にできて会社にバレない仕事…なんて、なかなかお目にかかれる案件ではない。この仕事を紹介してくれた同僚には恨み半分、感謝半分と言ったところだ。
客船コンパニオンというからもっとウェイターみたいな仕事だと思っていたのに、まさかホステスの真似事をさせられるとは思いもよらなかった。

「なんだ、生娘じゃあるまい?」
「えっ、やだぁ、もー」

わざとらしく恥ずかしがってみたが、これで良いのだろうか。
水商売経験もない私が何故こんな所にいるのだろう。
私以外に採用された女の子たちもいたけれど、彼女たちは別のフロアでそれこそ私が想像していた“ウェイターのような仕事”をしていた。
老人と言っても差し支えない壮年男性が座るソファの隣に腰を下ろす。距離感がわからず妙に距離を取りすぎた。
パーティー?が行われている風景が複数のモニターに映し出され、彼の相手をしながらこれを一緒に見るのが私の仕事ということらしい。
彼などという呼び方では失礼かもしれない。彼を呼ぶ時は「会長」と呼ぶように、と面接官に言われたのだ。多分とても偉い人なのだろう。

「あちらにはご参加なさらないんですか?」
「ヒヒヒ、ワシは見る専門」
「見る専門!」

パーティーを!?
そんなの何が楽しいんだろう。
お金持ちの趣味がよくわからず、素直に驚いてしまう。
会長さんは部下らしきスーツの男性に2人分のウェルカムドリンクを用意させて、乾杯の仕草を取った。慌てて自分の分のグラスを手に取って会長さんの仕草を真似ると、ただ者ではない雰囲気が凄まじい会長さんが私に微笑んでくれた。
鋭い眼光で部下に接する姿を見たときはなんと恐ろしい人の相手をしなければならないものかと震えたけれど、こうしてみるとまあ優しそうにも見える。
近距離に座っているのに指1本触れるわけでもなく、距離を詰めることもなく、意外にも紳士だった。

「そんなに気を張らなくとも良い。そもそもワシは女など用意しなくても良いと言ったのに利根川のやつ余計な気を回しおって、減俸だ!」
「えっ、あっ、あの、至らない点があれば仰ってください、精一杯やりますから、その……」
「冗談だ」
「あっ、アハハハ……」

変なジョーク言わないで欲しい。
笑う所なのかどうかもわからない。
多分怒らせるようなことを言うのはNGだし、当たり障りのない会話をすれば良い。
……だけどそんなこと言ったって、接待なんてしたことないし。せめて営業経験でもあればよかったものを、普段は事務員をしている私にとってハードルが高すぎる。

「酒は好きか」
「ええ、まあ人並みに嗜みます」
「何が好きだ」
「えーと」

本当は発泡酒と激安ハウスワインが好きだけど、これでは品がなさすぎるだろうか。見栄を張っても仕方が無いけれど、あまりにお粗末すぎるのも考えものだ。

「ウィスキーとか」
「おお、飲めるのか」

会長さんは嬉しそうに乾杯用のシャンパンを飲み干すと、ウィスキーを注文した。機嫌が良くなったようでなにより。
部下の人が新しいグラスを運んでくる頃には、モニターの中がざわつき始めて利根川さんの怒声が響いていた。
パーティーで怒声が飛ぶなんてただ事ではない。一体なんのパーティーなのか、よく見たら参加者はみんな平服どころか部屋着紛いの人までいて、まったくもってわけがわからない。

「ヒヒヒ、始まるぞ」
「利根川さん怒ってらっしゃいますけど……」
「腰抜けどもにはちょうど良い」

一体なんのことやらさっぱりわからず、私はただ楽しそうにモニターを見ている会長さんに会話を合わせて相槌を打つ。
そのうち、ずっと誰もいなかった部屋に1人の参加者と部下の人が現れたと思いきや、あっという間に裸に剥かれて腕に焼きごてを押し付けられる瞬間を目の当たりにしてしまった。
や、やっぱりヤバいやつだった!
仕事内容もヤバいけれど、この場所もヤバいし、多分パーティーだと思ってる“あれ”もヤバいやつだし、拷問なんかもってのほかだし、それを見て笑っている会長さんはマジでヤバい人だ。
というか完全に私と住む世界が違う人だ。

「カカカ、愉快愉快、バレる嘘をつくからああなる」
「は、ははは」
「楽しみに見ておれ、負け犬どもが次々にぶち込まれるぞ、ヒヒヒ」

今すぐ帰りたかった。
なんの関係もない人達だけど、目の前で拷問をされているのを見続けるのは辛いものがある。
こんな世界があったなんて……

「あの方たちは一体……」
「何も聞いとらんのか、うちの債務者だ。帝愛を手玉に取ろうとして躍起になる姿が実に愉快だろう」

帝愛!
そうか、会長って帝愛グループの会長さん……
帝愛といえばゴールデンタイムにCMが流れるほどの大企業だ。
そんな大企業が裏でこんな事を……
今夜は衝撃的な事が多すぎて、脳がパンクしそう。
正気を取り戻すために飲んだウィスキーは完全に逆効果だった。
今までの私が生きてきた所とはまるで別世界で、別に“こちら”の世界の人間になったわけでもないのに、なんだか今までの世界がすごく遠いもののように思えた。
ふと会長さんを見ると、特に私を気にも留めていない様子でほっとした。とりあえず私はまだ烙印を押されるほど嫌われてはいないだろう。
嫌われたら、私含めコンパニオンもああなるのだろうか?

「あの中に女性が入ったことはありますか?」

うわっ!
つい思ったことが口から飛び出してしまい、思わず口を押さえた。
会長さんははっとしたようにしばらく私を見つめると、ニヤリといやらしく笑ってウィスキーを口に含む。

「興味があるのか?」
「いえ、その、」
「お前のような女に帝愛の犬の印は勿体なかろう」

会長さんが初めて私に触れた。
触れたと言っても、和装の帯の隙間から取り出した扇子の先で。扇子の先は私の顎を捉えて、値踏みをするように彼の視線が移ろう。
私があの烙印を“押されたい”と思っていると勘違いしているのだろうか。それともそんなに物欲しげな顔をしていたのだろうか。
なんだかおかしくて笑えてきてしまう。
完全にお酒が裏目に出ていたけれど、なんとなく、ここで私が笑っても悪いことにはならないような気がした。

「ふふ、彼の名前とかなら良いでしょうか?」
「馬鹿者が、傷物になったら貰い手がいなくなるぞ、あいつらみたいにな」
「確かにおっしゃる通りですね、彼らは一生帝愛のものですか?」
「逃げられるわけがなかろう?」
「私にもそんな彼が現れたら、傷物になるのも素敵かもしれませんね」

利根川さんへの辛辣な態度とは裏腹に温和で優しい人だと思ってしまった。私の軽口にも穏やかな表情で返してくれて、いやらしさも無い。
モニターの中の出来事があまりにも非現実的すぎて、どうにも目の前の会長さんとリンクしないのだ。
そうなってくるともはや畏怖の気持ちなど無くなってしまい、それこそ気の良いおじさまとお話している気分だった。

「お前は筋が良さげだ」
「なんのです?」
「ここで会えたのも何かの縁かのう、ワシとまた後日会う気はあるか?」
「嬉しいです、もちろん」

多分、断れた。
それなのになんでこんなにもすんなりと受け入れ、あまつさえ即答していたのか。お酒の力とは恐ろしいものだ。どんなにリンクしなかったとは言っても、あの拷問を指示しているのはどう考えても彼だと言うのに。

「カカカ、愉快愉快、利根川にはボーナスをやらねばのう」

相槌を打って笑っていればいい。
ただそれだけだったはずなのに、今日が新しい出会いの日になってしまったような、そんな気がした。

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