Diamànte:閑話

※利根川視点

「助けてください……?」

午後10時。普段のタイムスケジュールであれば入浴してストレッチを行う時間であるが、変更を余儀なくされることもある。
部下伝いで山崎と名乗る男からメールが届いた。タイトルからして物騒なものだ。嫌な予感など感じる前に飛び込む『会長』の文字に、すぐさまスーツに着替え直してマンションを飛び出していた。
まだ社内に残っているであろう部下の一人を呼び出しながら向かう先は銀座。
過去一度たりと直面したことのない状況を迎えるにあたり、額に汗がにじむ。

「利根川先生!」
「ああ、急に呼び出して悪いな」
「会長は……」
「まだだ、行くぞ」
「はい!」

敢えて電車で集合するように指示したのにはわけがある。もちろん運転手確保のためである。

「会長!」

指示された料亭の個室に突入していくと、山崎らしき黒服の男はパアッと表情を輝かせてこちらを見ていた。
その傍らで私の方を見向きもせずに座卓の天板に頬をつけて何かをブツブツとつぶやいている会長が目に入り、思わず思考停止して山崎と交互に見比べてしまう。

「や、山崎、これは」
「利根川先生すみません、どうも今日はご機嫌の様子で少々飲みすぎまして……」
「会長の体調は大丈夫か」
「おそらく大丈夫かと、ただあの、彼女…? の話がしたいようでして」
「ああ、わかった、私が引き受けよう。山崎は代行で帰れ。お前は運転手だ、いいな」
「はい!」

我ながら的確な指示と対応だったように思う。かなり泥酔した様子の会長は無論一人で歩けるはずもなく、背負う形で無理矢理車に押し込んで隣で介助をしながら社屋へと走らせた。
それにしても彼女の話とは……
若造でもあるまいし、この所の会長とあの女の関係はわけがわからぬ。出会わせた私が言うのもどうかとは思うが。まさかこんなことになるなんて思ってもいなかった。

「おい……」
「はい」
「ワシがあいつに冷たくする理由がわかるか」
「えっ、あいつとは、あの、彼女ですか」
「当たり前だろ馬鹿者が、ワシの隣にあいつ以外の女が居たか」
「申し訳ありません、奥様以来久々だったもので」

そうだ、会長は元来そんなに女遊びが好きな方ではない。欲の捌け口として利用することはあっても、真っ向から付き合おうとする姿は奥様以外見たことがなかった。
それがまさかあんな若い女に惚れるとは。予想外にも程があった。

「あいつの話は置いておけ、無粋な男だ」
「すみません……」

つい口を滑らせて話の腰を折ったが、どうやら本当に上機嫌のようで言葉ほど態度はキツくない。
理由はわかるか、と再度尋ねられ、口をつぐむ。
まさか愛情の裏返しなどという小学生のようなことは言うまい。

「馬鹿者が」
「すみません」
「ワシは兵藤和尊だぞ」
「存じ上げてます」
「はー、所詮お前にとってはその程度だろうが」
「!?」

神、とお答えすればよかったのか……?
いや、しかし相手は酔っ払い……
いつも以上に正解がわからずにモヤモヤしたものを抱えながら会話を続ける。

「いいんだいいんだ、どうせワシは兵藤和尊だから」
「えっ、いや、そんな」
「でもな、あいつにとってはただのジジイだ」
「会長、間違いなくそんなことはありません」
「馬鹿者が、今の今までワシと知り合う機会もなかったような女など、ワシの価値がわかるわけないだろ」

一理ある。会長もそんなことを考えることがあるのだな。無駄に関心してしまう。確かに住む世界があからさまに違う。
豚に真珠、猫に小判、そういうこともあるだろう。本来あの女などが付き合えるお相手ではないのだから。

「あいつがワシを手放せなくなれば、ワシはただのジジイではなくなる」
「新たな価値を築くということですね」

私のモヤモヤなど知りもしない会長は、まぶたを伏せてむにゃむにゃと口を歪めながら頷いた。

「ワシが最大の褒美になるにはどうしたらいいか」
「それは」

サッと浮かんだ考えが下衆すぎて口にするのをためらう。
奥様以来に惚れた女性なのだろうから、まあ間違いなくシャブ漬けや風呂屋漬けなどというそこらの低俗な輩が女を繋ぐ手段など選びはしない。たとえ愛人だとしても、さすがに自分でもしない。
女との駆け引きなんぞから離れて、仕事…… いや、会長一筋で生きるようになってどれくらい経ったのだろうか。

「そんなこともわからんから女の一人や二人、囲っておけんのだ」
「はあ、申し訳ございません」
「ワシはもうあいつを囲っておくだけでいいが、ヒヒヒ」
「……」

惚気ているのか……?
初めての体験でどうして良いやらわからない。いや、もちろん新たな伴侶を見つけられるのは良いことだとは思うが。普段の会長とのギャップに気持ちが追いつかない。
ここまで入れあげているとは思わなんだ。
しかし思い返してみればお忙しいにも関わらず定期的に会いに行っているし、その家はもちろん会長持ちのマンションであるし、黒服さえある程度は自由に使わせているらしいと聞く。
その厚意たるや帝愛社員の誰もが受けたことのない、まさに寵愛と言えよう。

「できるだけ苦しい思いも辛い思いもさせたくないがのう」
「……今でも十分お幸せかと」
「馬鹿者が、あいつが一人で泣いていることくらいワシにもわかるぞ」

馬鹿者が、と、本日何度目かわからない叱責を受ける。
泥酔なさると「馬鹿者が」と言うらしいことを入社して初めて知った。黒崎も知らぬ情報だろうと思うと、もはやこの状況を楽しみながら挑むべきだと悟る。

「今は今でお前に感謝することもあるが、時々あいつのそばに居れたらと考えることもある。だがすべてを捨ててあいつの所へ行くことだけが愛ではないな」
「なんと言っていいやら、私は一生会長に尽くす所存です」
「ヒヒヒ、今更になって女に熱を上げるとはな。我ながらどうかしてる。それもこれもすべてお前のせいだ」
「も、申し訳ございません……」

あの日、エスポワールに乗せるコンパニオンの面接に来た人物の中から一番聡そうな女を選んだ。敢えて容姿は端麗すぎず多少隙のある表情をする女にした。世間が違うくらいの女が良いと思ったのだ。
会長の口から“感謝”などという言葉を引き出すような女に化けるとは。

「ワシがあいつに溺れそうになったらお前だけが頼りだ」
「なっ、は、光栄です、お任せ下さい」
「ワシがどうにかなった時、あいつを頼んだ」
「!!」

本当に死期でも迫っているかのようなことを言うものだから、動揺してしまう。ふとバックミラーに目をやると、運転手にした部下がサングラス越しでもソワソワしているのがわかった。

「返事しろ、馬鹿者が」
「は、はい!」
「ナマエに会いたい……」
「向かいますか、彼女の家」
「うーん……」

はっきりとしない返事を不思議に思い、横目で盗み見た所、どうにもこうにも寝ているようにしか見えなかった。
声を掛けてみたものの返事はなく、どこか気分良さげに目を閉じたまま。やはり寝ているのだろう。
バックミラーの向こうに映る部下に目配せをする。

「おい、今日見た事はすべて他言無用だぞ」
「はっ、かしこまりました」
「それと目的地変更、世田谷方面に」
「はい!」

多少出過ぎた真似だろうか。まあこれだけ惚気たあとだし良いだろう。こんな行動を取るのは初めてだが、悪いことにはならない気がした。
携帯の電話帳を探すと、あれ以来連絡を取ることもなかった彼女の連絡先が残っていた。多忙で整理する暇もなかったことに感謝したのは初めてだ。
どうにも今日は初体験が多すぎる。
おそらくもう二度と目にすることは無いであろうあまりにも優しげな表情で眠る会長の姿を見て、そう思った。

「彼女の家に会長を届けたら、夜食でもどうだ」
「良いんですか!? ぜひ!」
「ああ、それでは安全運転で頼む」
「はい!」

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