「あ」
「元気か」
どれくらいぶりだろうか。久々に見た彼の顔はあれからまるで変わること無く、薄ら笑いを浮かべていた。
あれから何度か七武海の会合があったけれど、彼と顔を合わせる事はなかったのに。それがなんだ、珍しい。
わざわざこんな所まで顔を見せに来たのだろうか。ふとカレンダーに目をやると、今日の日付に黒い丸がついている。そういえば、今日も七武海の会合があったのだ。
「どうしたの」
「ここでそんな口を聞いていいのか」
「どうせ誰も来やしないわよ」
CP9の海軍本部事務局なんて。ほとんどの用事は全部エニエス・ロビーに直通するんだから。
一応海軍兵だけど、海軍兵にあらず。サイファーポール所属だけど、サイファーポールの一員として役に立つわけでもなく。
こんな私に用事のある人なんていないのだ。
クロコダイルはさらさらと砂になって消えると、次に姿を現した時には私の隣で葉巻を咥えていた。私の隣で、なんていうけど、誰も来ないこの部屋に二人掛けのソファなんて置いていない。
私が寛いでいた(サボっていた)ゆったりめの一人掛けソファの隣に無理矢理座るものだから私は大分押しつぶされている。
すごく邪魔だ。
「あなたこそ、こんな所に居ていいの」
「構いやしねえ」
「……ひょっとして、バレたら私のほうが困るんじゃないの」
「クハハ」
冗談じゃない。
まさか会合をサボってここにいるのではなかろうか。そんなことをされては私は処罰されるに違いない。
クロコダイルの吐き出す煙がゆらゆらと窓の外へ溶けていった。
「ちょっと、葉巻消しなさいよ」
「じゃあ灰皿よこせ」
「……」
無理だろう、とでも言いたそうな余裕ぶったいやらしい笑顔を向けてきた。
確かに私は煙草も葉巻もやらないし、ここには人が来ないから応接用としても無用の長物だ。
しかし私は意に介さない。起ち上がってデスクの引き出しからブラックオニキスで作られた小さな灰皿を取り出し、クロコダイルの前に置いた。
今度は私がにやにやと笑いながら、クロコダイルを見下ろした。
「ちゃんとあるわよ」
爬虫類のような小さな瞳が、ギロリと私を捉えた。
灰皿に葉巻を置いたと思うと突然腕を引っ張られ、視界が真っ暗になる。
「なっ、ちょっ、離して!」
「誰の灰皿だ」
「私のよ!」
「お前は吸わねえだろ」
「持ってたって別にいいでしょ!」
「誰のための灰皿だって言ってるんだ」
「誰のって……」
やっと緩められた束縛に、腕を押しやると目の前にはクロコダイルの顔があった。
ようやく自分の状況を理解して、思わず赤面してしまう。クロコダイルにまたがって抱きしめられるだなんてどういう状況よ。
こんなの誰かに見られたらどうするの。……誰も来ないけれど。こんな所には。
「別に、誰のためでも」
「なんで灰皿なんか買った。誰も来ないとわかっているんだろ」
「なんだっていいでしょ!」
以前あなたがここに来た時、困っていたから。
そんな事言えるわけない。
こんなふうにまた訪れてくれる期待だとか、あまつさえ、葉巻をくゆらせて寛いでいくかも知れないなどという夢だとか。
初めて私の部屋を自ら訪れてくれたお客様だった、あなたのための。
「なあ」
「なに」
ひとつ睨んでやろうと思った。
クロコダイルの方に顔を向けると、そのまま唇を塞がれ、ぐっと腰を抱き寄せられる。鉤爪が私の髪を梳いて頬に触れた。
「んっ、ふ……」
「ちゅ」
「っ、はぁ、なっなななにすんの」
「おれと来ないか」
顔を胸に押し付けるように抱きしめられて、彼の表情は見る事ができない。
突然の言葉にどう反応していいかわからずに固まってしまった。自分が情けない。こんな時、返す言葉もないだなんて。
海軍でも、サイファーポールでもない私。女としても、ろくな言葉が浮かばない。
「ナマエ、おれと来い」
「……」
「返事しろ、さもなくば拐うぞ」
「うん」
「あ?」
「拐って、ください」
なんでもない私を、せめて女に。
うまい言葉が浮かばない代わりに、クロコダイルの大きすぎる背中に一生懸命しがみついた。
「泣くな」
「だって」
「おれが来ただろ」
「本当は、待ってたんだから、」
「わかってる」
私を抱いたクロコダイルは葉巻を咥えなおして立ち上がった。
いわゆるお姫様抱っこになんのあこがれもなかった私だけれど、不覚にも少しふわふわした気持ちになった。
クロコダイルはそのまま窓の方に足を進めようとしたけれど、それを静止して灰皿を取ってもらった。
「これはクロコダイルのだから」
「ッハ」
「笑わないでよ!」
「いや、可愛い事も言えるんだと思ってな」
葉巻と灰皿がなくなった部屋には、もう何も用がない。