DEAR.悟浄 07|リラ

指定したバーは食事も評判が良いらしいから、ナマエがどんなに腹を空かせていても大丈夫だ。 八戒にキツく言われて早数週間、立ち寄る村々の賭場で稼いだから金も十分ある。久々に博打で稼いだ。
とりあえず一杯キメておきたくて頼んだストレートのスコッチは、いい感じに脳を暈してくれた。

ぼんやりした頭でナマエと出会った頃を思い出す。
危ない仕事を辞めさせたくて必死に稼いだ。マジで辛かったけど、大金持って帰って「仕事辞めてくれ」と言った日、ナマエは初めて俺の前で泣いた。あ、やっぱ俺こいつが好きだわと思って、俺がいる限りもう泣くような事はさせないと誓った。

俺には後悔している事がひとつある。
なんの気なしにテレビを見ながらだったか、世間話をしながらだったか、とにかく大した意識もせずに「女の泣き顔はずるいから嫌いだ」と言った。
その時、ナマエは一瞬強ばった表情を浮かべてから「そうだよねー」といつもの調子でへらへら笑ったのだ。
すぐに否定してやればよかった。お前の涙はずるくなんかないし、いつだって拭いてやる。って、すぐに言ってやればよかった。

あの日以来、俺はナマエの泣き顔を見ていない。
思えばそれから俺は立場を見失い、ナマエの前で男であることから逃げた。
友人だの同居人だの家族だのという言葉に甘んじておけば答えを出さずに済んだ。その間、ナマエがずっと一人で涙を堪えている事をわかっていながら。

ナマエは強い。だがそれは単純に強いから強いというわけではなく、俺が強くある事を強要していたという話なのだ。俺の要求に応えようと、強くあろうとしていただけだ。
我ながら情けなくて死にたくなる。
ナマエが泣かないという事は、俺の前ではずるくない女でいたかったからだと、今更そんな事に気づいた。

「悟浄……?」

聞き慣れた声に呼ばれて意識が戻る。危ない、泣きそうだった。
声の方を振り向けば、見知った顔と見知った服のくせに今初めて出会ったかと思うような女がそこに立っていて息を呑む。
腕を伸ばして手を差し出すと、ナマエはその手を取った。

「座れよ」
「う、ん」

できうる限り優しく誘う。ナマエの手を引いて壁側に座らせ、オーダーを聞く。キール2杯とつまみを適当に頼んでしまえば、戸惑いやら困惑やらといった空気感だけがそこに残った。

「あの」

意を決して口を開くとナマエと声が被る。ダセーわ恥ずかしいわでどうしようもない。せめて多少は気遣いをさせまいと、ナマエを制して俺から話す事にした。

「三蔵と付き合うのか?」
「ああ、そのこと?」
「その事って簡単に言うな、随分」
「簡単も何も付き合わないし」
「なんでだよ」
「なんでって言われても……」

極めて冷静を装うが、どうにも勢いが殺しきれずに圧倒してしまう。わずかにグラスに残っていたスコッチを飲み干して深呼吸した。
俺は何しに来た?
こんなに綺麗になったナマエを呼んで、どうしたかった?

「……まあいいや、やめよう」
「う、うん」
「綺麗だな」
「え」
「お前が。綺麗だっつってんの」
「えっ、なに急に、ていうか本当急に、なに」

視線を泳がせて動揺を丸出しにしているナマエは、カウンターに差し出されたキールを喉を鳴らすほど勢いよく飲んでいる。俺とバーに来てこんな反応する女は初めてだな。本当に今更だけど改めて“女”として見ると、あまりにも特殊すぎる。

「ずっと思ってたよ」
「ブッ、っごほ、っ」
「大丈夫かよ?」

むせるナマエの背中をさすってやった。今までは男だ女だと意識しないようにしてきたけれど、一度意識してみればその背中はもちろん女らしいほど女で、繊細な髪が俺の手の甲をすべり、服の上からでも皮膚の柔らかさがわかった。
すげー魅力的。
今までわざと意識しないようにしてきた理由は明白だ。そんなの、めちゃくちゃタイプだからに決まっている。

「私より悟浄の方がおかしいんじゃないの」
「どこが。デートの相手口説くのはフツーだろ」
「そもそもこんなデートに誘うこと自体」
「あーあーあー、そりゃ悪かった、俺が情けないばっかりに随分待たせたのは謝るぜ、ゴメンな」

一応本気で悪いことしたなとは思っているものの、ナマエを前にすると真剣に謝るって事ができない。茶化すようにして謝ると、ナマエは体ごとこちらに向けて身を乗り出して怒った。

「なにそれ、私が悟浄とデートしたかったみたいな言い方」
「……違うの?」
「え」
「ずっと待たせて悪かったな、もう覚悟できたわ」
「な、んの、こと」
「今夜俺の部屋来る?」
「……」

バチン!
鼓膜を劈くような音と共に衝撃が頬を弾いて「いてえ」と思った時にはもう、目の前のナマエは顔を赤くして涙を浮かべていた。
こんな顔させたかったわけじゃないのに。
真剣に言えばよかった。後悔ばかり。ナマエは泣かせないって、誓ったのは俺だろ。

勢いよく走り去るナマエの背中を見て、すぐにカウンターに金を置いて追いかけた。
おいおい、足早すぎだろ。あの怪しすぎる妖力制御装置は眉唾物ってわけでもなさそうだな。以前より明らかに速度を増したナマエの背中を追いかけ、街のはずれでやっとその腕を捕らえた。

「ごめん」
「許さない」
「ほんと、ごめん」

お互いに呼吸を整える。全力疾走したのなんていつぶりだろうか。振り払われそうになった腕に、必死に力を込めた。

「最低だよ悟浄」
「ごめん」
「別にそんなことしなくたって三蔵とは付き合わない。誰とも付き合わないし、居なくならないから。もう今日は放っておいて」

ついにナマエもナマエで必死に耐えていたであろう涙がこぼれ落ちる。薄明かりの下で街灯に照らされた水粒が光った。
違う、そうじゃない、本気で言ってる。
だけど本気の伝え方がわからない。自分の経験値の低さに自分が一番ドン引きしてるぜ。女はたくさん抱いてきたっていうのに、なんの役にも立ちやしない。

「好きだ」
「適当な嘘つかないで」

苦し紛れにただ飾らない言葉をぶつければ、おっかない顔で睨まれた。その間にもぼろぼろ溢れる涙を俺が拭ってやっていいのかすらわからない。

「好きなんだ、本当に」
「なにそれ」
「世界一」
「信じらんない、馬鹿にしないで、最低」

最後に大喧嘩したのはどれくらい前だったか。久しぶりに感情を剥き出しにしたナマエを見て、嬉しかった。完全に俺のせいだけど、それでも怒って泣くナマエを見て、嬉しかった。
どう考えたって笑っちゃいけない場面って事くらい俺でもわかるが、それでも嬉しくて泣けてくる。ああ、耐えらんねえな。くそ。
誤魔化すようにナマエの腕を引いて小さな体を抱え込む。あ、また誤魔化しちまった。でもかっこわりーだろ、さすがに。涙なんて。

「怒ったり泣いたりしてるお前も好きだよ」
「なっ、なに、……嘘」
「嘘ついてどーすんのよ、こんなかわいいお前抱きしめてさ」
「馬鹿じゃないの」
「……頼むから、俺の部屋来ない?」

ずっともぞもぞと抵抗していた細い腕は、ようやく静かになって俺のシャツを握った。

タイトルとURLをコピーしました