※酩酊の後日談
あの晩俺と彼女は結ばれたはずだ。
朝起きると、すやすやと寝息を立てる彼女が隣にいて、無論お互いに服など着ていなかった。正直な所セックスしたかどうかはあやふやだが。
なにしろ久々に気分が良くて飲みすぎたし、まるで記憶喪失のようにあの日の出来事が思い出せない。
店の忘年会のあとに、ふたりでバーに入って飲み交わした所までは覚えているものの。
でもおそらくしたはずだ。
俺がナマエを目の前にして食わないわけがない。
バーでの出来事のことを考えれば、ホテルに行ったらセックスはしているだろう。
「おはよう」
「店長おはようございます」
それなのになんだこの代わり映えのない毎日は。
たしかに俺は暇じゃない。はっきり言って忙しい。女に構う時間など皆無と言っても過言ではない。
しかしそれとこれとは別の話。
バーを出る頃にはもう彼女のことを「ナマエ」と呼んでいた。その時点で成立しているはずだろ。
なにが「店長」だ。
「あ、そういえば主任が探してましたよ」
「そうか」
もっと他に言うことないのか。この際村上や仕事のことなんてどうでもいい。
酔っている時に言ったのがいけなかったのか?
いやいや、酔っているとはいえ俺の本気具合は伝わっていたに決まってる。
それなりのホテルのバーで夜景見ながら乾杯なんて、さすがにたかがセックスしたいだけで誘うわけがないだろう。
ナンパしたならまだしも、仮にも店の従業員だぞ。
あれだけ真面目に口説いたんだからただの慰労会ではないことくらい伝わっているはずだ。
「どうかしましたか?」
「いや、」
まさか、俺が弄ばれた側……?
テイの良い“お断り”ってことなのか?
記憶を失くしている間に余程酷い仕打ちでもしてしまったのだろうか……
この俺が?
断言する、それだけは有り得ない。それとも朝先に帰ったことを怒っているとか。
仕事を言い訳にするのは趣味じゃないが、出勤時間目前にして先に帰らないわけにも行かなかった。
「店長?」
「ナマエ」
「えっ!?」
このモヤモヤを抱えて早一週間。
このままではなし崩し的に無かったことにされてしまうと思ったら、反射的にナマエの腕を掴んでいた。
ナマエは心底驚いた表情を見せると、数回大きく瞬きをして硬直してしまった。
これ幸いと壁際に追い詰めて囲い込む。両腕のバリケードからはそう簡単に逃がすつもりは無い。
「怒っているのか?」
「えっ、いや、えっ?」
「せっかくの記念日になったのに、先に帰って悪かった」
「記念日、って、あの、」
「一週間もそんな態度じゃ気が悪い」
ひとりにして済まなかった。
そう呟いてキスしようとしたら、細い腕で全力で拒否された。まさかの拒否とは。そんなに怒らせたか。
俺の胸に突っ張るようにしたふたつの腕は酷く頼りない。無理にいこうと思えばいけなくもないが、彼女の話を無視するわけにもいかない。
「店長ごめんなさい!」
「ごめんなさい、って……」
「あ、ああ、あ、あの、ホテルで…その、や、やっちゃったのは覚えてます」
「だよな」
やっぱりしたよな。
セックスした記憶はなくとも、妙にリアリティのあるナマエの痴態のようなものが思い浮かぶのがその証拠だ。
「でも、あの…… その場限り、だと思っていたので」
「本気で言ってるのか?」
「えと、す、すみませんでした!」
「……」
振られた……?
最悪すぎるにも程がある。
この俺が、店の従業員の小娘に、振られた。
すべての状況が最悪すぎる。
「覚えてないんです、ホテルに行く前のこと!」
絶望に打ちひしがれて無表情を貫いていると、ナマエの表情がみるみる崩れだした。顔を染めてボロボロと涙をこぼす。
思わず頬に伸ばした指は、拒否されることなくその涙を拭った。
「わ、私、店長のこと好きになっちゃって、」
「……」
「店長に迷惑かけたらいけないと思って、普段通りにしなきゃって、そうしてたんですけど、」
「……」
「あの日なにがあったんですか……?」
「……ああ」
あーあ、馬鹿らしい。あまりの馬鹿らしさに自分に愛想がつきそうだ。あの時点で記憶が飛ぶほど酩酊していたと見抜けなかった俺のミスだ。
今更やり直すのも滑稽な話だし、なにより場所が悪すぎる。ムードもへったくれもあったもんじゃない。
どうしようか、と考えていると段々気が重くなってきて、がっくり項垂れて深い溜息を吐いた。
「すみません、私のせいで迷惑かけてますよね……?」
「いや、」
ナマエが俺の両腕の間から困った顔で見上げてくる。もう少しこのまま困らせたいような、早く安心させてあげたいような不思議な気持ちだ。
すぐに関係をはっきりさせるのも良いが、しばらく曖昧な関係を楽しむのも悪くない。
とうせ結末は見えているようなものだし。勝算しかない勝負をしない男などいない。
「来週の店休日の前の夜、予定を空けておいてくれ」
「えっ! は、はい!」
あからさまに動揺しているナマエの手を取ってその甲にキスをする。
触れた手が熱い。潤んだ目と目が合うと、ここで止めるのも少し勿体ないと思う。
「て、店長……」
焦燥感に駆られているナマエの表情を見ていたらそんな気持ちも吹っ飛んだ。
焦れたナマエを見られるのももうしばらくと思うと、今は初々しく居てやろうじゃないか。
「続きはまた今度」