羽鳥の顔を見ると心臓の音が大きくなることは、出会ってすぐに気づいていた。
心ここにあらずと言わんばかりに遠くを見つめている瞳や、それを隠すような笑顔と、物腰の柔らかい振る舞い。
こと女性に対しては余計にその傾向が強くて、私に対してもそうだった。
その他大勢に向けられるのと同じ態度を取られるたびに、彼にとって私はその他大勢の女のうちの一人なのだと思い知らされる。
妙に馬の合う亜貴くんがやたらと優しくしてくれるものだから、Revelのみんなに好かれているような錯覚を覚えていた私を殴るのはいつも羽鳥の笑顔だった。
心を開くつもりのない人間のそれをこじ開けようとするほど青い力はなかったし、何よりかわいい女の子を取っ替え引っ替えしているいいとこ育ちで眉目秀麗な男に、わざわざ「こっちを向いて」なんて言えるほど自分に自信はなかった。
何もかも平凡で、強いていうなら親が小金持ちであること。あとは多少口が悪いこと。そういうところが亜貴くんに気に入られたのかも知れないという自覚があるくらいで、羽鳥の周りの“かわいい女の子”には到底敵う要素なんか無い。
それでも、多少、少しでもいいから、あの頃に笑顔の壁を崩してくれていたのなら、もしかしたら何かあったかも知れない。
だけど今はもう。
羽鳥はあのまま順当に成長して今では自分で会社なんかやっているし、私は平凡街道を邁進して普通の会社員をしている別々の人生を生きている。
全方位に壁を張る羽鳥に目を奪われていた頃の私とは違う。最初から随分と遠い場所にいる羽鳥のことなんか、忘れてしまった。
僅かで、唯一の繋がりだった大学という場所を失って、私はやっと羽鳥から解放されたのだ。
あの日羽鳥と寝てしまったのはやっぱり間違いだったかも知れない。
直後は「こんなもんか」なんて思っていたくせに、日毎に鮮明に思い出してしまう。きちんとケアしているのであろうささくれ一つ無い綺麗な指先や、毛先から根本まで綺麗な赤茶色の髪。きめ細やかな背中。鎖骨の上のくぼみ。うっすら主張する腹筋。体温と、触れ合う皮膚の柔らかさ。憂いを帯びた瞳はあの頃みたいに壁を張ったりしていなかった。
どんな顔して抱かれていいかわからなくて、私は目を閉じた。
羽鳥は知りもしないだろう、私がどんな思いで羽鳥から解放されたか。今更になってそんな顔を見せられて、今更になってそれを思い出して、泣きたくもないのに何度も泣きながら寝ていることを。
あなたはどんな思いで私を抱いたの。
いつもみたいにとっかえひっかえの一部なの。
いい歳してこんなことに悩まされるなんて滑稽すぎて笑える。
毎晩どん底まで落ちた後、思い出すのはいつもの距離を置いた羽鳥の笑顔で、それなら私だって絶対あなたに踏み込んだりしないって決意するのだ。
私がこんな風に惑わされてるのは何も私だけのせいじゃない。思わせぶりな態度や誘う言葉の端々から滲んでいる。羽鳥自身が「踏み越えて欲しい」って願っていることくらい、私にだってわかる。
だけど、私一人じゃあなたの壁は壊せない。
ピコン、と電子音が鳴って新着メッセージを知らせる。
おもむろに端末を手に取って通知を見れば案の定というべきか、送信者には『羽鳥』と表示されていて、私は頭を抱えた。