ここ1週間の行動については、自分で自分を褒めてあげたい。
なんせ今まで通り所長と仕事をしたのだから。
1週間前の今日、多分私は告白してもいないのにフラれた。んだと思う。多分。あの時所長は暗に「告白しないでね」と釘を刺したのだ。おそらく。
多分だのおそらくだのとあやふやな解釈しかできないのは、あれ以来どこまで所長に踏み込んでいいのかわからずにろくに私的な会話をしていないからだ。
しんと静まり返った夜の事務所で、私はひたすらにターゲットのSNSをチェックしていた。
これが急ぎの仕事ならまだしも、そういうわけでもない。所長に声を掛けるタイミングを伺っていたらこんな時間になってしまっただけのこと。今日を逃したらまた休日に突入してしまう。
先週の休日はひたすら落ち込んでいた。所長が何を考えているのかわからないし、多分フラれたし、こんな気持ちのまま休日を迎えるのは嫌だ。
幸いやることはあるしと思って仕事をしていたけれど、ちらりと時計を見れば間もなく23時を迎えようとしている。
「所長はまだ仕事しますか」
「アンタが終われば終わるわよ」
「え」
「まだ終わんないの?」
「2時間以上前からやるべきことは終わってます」
「は!?」
正直に白状すると、所長は大きな声を上げてこちらを睨んだ。
私の仕事を待っていただけなら確かに悪いことをしてしまった。いや、だって、まさか私の終わりを待っているとは思わなかったものだから。
でも思い返してみれば所長が無意味に私より先に退社したことはない。そういう所が好きなのに、今は所長の素敵な所に触れるたびに胸が痛む。
「す、すみません、所長とお話したかったんです」
「そんなの休憩中じゃダメだったわけ!?」
「えっと、あの、成瀬さん、と、お話したかったんです」
「なっ…… 早く帰る準備しなさい」
「はい……」
怒られた。まあ、そうか。妥当だ。
SNSをチェックした箇所までのメモを取ってパソコンをシャットダウンさせ、事務所を一通り戸締まりしたら帰宅の準備を整える。私の準備が終わる頃には所長はもう出入り口の前で扉を開けて待っていた。
「一つ聞くけど、雑然とした店と小洒落た店、どっちがいいの」
「え、いいんですか」
「話があるんでしょう」
「こ、小洒落た店、がいいですかね?」
「なんで疑問系なのよ、行くわよ」
扉の前で戸惑って立ち尽くしていたら、成瀬さんが私の腰を引いて事務所の外に追いやった。腰を。え、成瀬さんが私に触れたって。えっと。何、どういうこと。
ずっとフラれたと思って落ち込んでいたというのに、こうやって勘違いさせるようなことをする成瀬さんに理解が追いつかずに混乱する。私が知る限りでは、成瀬さんはみだりに勘違いさせるようなことは絶対にしない。
混乱したまま成瀬さんに連れられた店はあの日のように妙にムードのある落ち着いた店で、あろうことかカップルシートに案内されて気まずい気持ちのまま隣同士に座る。
だけどメニューを手に取ればあれがいいこれがいいなんて盛り上がったりして、その混乱も徐々に和らいだ。
……が、料理とお酒を注文して乾杯をしたあとは何もしゃべらないわけにはいかない。
「あの、私考えたんですけど」
「……」
意を決して切り出すと、成瀬さんは黙って私の話に耳を傾けてくれる。
「私の目標は、成瀬さんじゃありません。成瀬さんの役に立つことです。成瀬さんに必要だと思ってもらえれば、それで……」
「アタシにはアンタが必要よ、大切なパートナーだと思ってる」
「仕事上じゃない部分でも必要だと思ってもらいたいんです。私はパートナーだから必要と思われたいわけではなくて、その、私だから必要って言ってもらえたら、嬉しいなと思っています。もちろんパートナーだから必要だと思ってもらえるだけでも、仕事上ではとても嬉しいんですが」
「言うわね」
「なんていうか、こう、努力する私と成瀬さんの求めるものがいい感じに交わったら素敵だな、って。私の人生の一部に成瀬さんがいて、成瀬さんの人生の一部に私がいて、そういう風に生きていけたらいいなと、思うんです。それが死ぬまで続いたら、嬉しい」
生涯、ここまで長く自分の気持ちを語ったことがあっただろうか。なんとか届いてほしい一心で、無いボキャブラリーをひねり出すようにして言葉を紡ぐ。
成瀬さんはそれを全部黙って受け止めてくれた。
「ずーっと仕事上のパートナーで居てほしい、って言ったら?」
「それは…… それは、そうですね、はい、それでもいいです、愛してるので」
成瀬さんが青山さんを愛するように、私だって成瀬さんを愛している。
ぎょっとした成瀬さんがこっちを見ているけど、生憎私はその瞳を見つめ返して愛のことばを囁やけるほどそのスキルに長けてはいない。
私としてはかなり思い切った“告白”だったのに、成瀬さんから反応がない。無反応なんて、ちょっとあまりにもじゃないですか?
そう思って伺うように成瀬さんの方を見ると、成瀬さんは両手で顔を覆って俯いていた。
「え!? どうしたんですか、大丈夫ですか?」
「なによ! アンタの頭が大丈夫かって話よ」
「私はいつでも正気ですが!」
「重いわよ、やっぱりアンタ重すぎ、なんでアタシなの……」
「愛に理由なんか必要ですか?」
「……ずるいわ」
わざと成瀬さんの言葉をなぞらえて答えると、顔を覆っていた指の隙間から成瀬さんの瞳がこちらを覗く。
相手の方が取り乱しているとこちらの方が冷静になってしまうというのは、今の仕事をしてから知ったことだ。それは今この瞬間も。
よく見れば成瀬さんは私よりもずっと動揺しているようだった。それがわかってしまえばこちらもそれなりに落ち着きを取り戻して、まっすぐに成瀬さんを見られるようになった。
「私、成瀬さんが好きです」
「知ってるわよ!!」
次の言葉はしっかり受け止めてもらわなくては。
そう思って成瀬さんの手首を掴んでそのバリケードを解こうとすると、その両手は意外とすんなりと私の力に従ってくれた。初めて触れる成瀬さんの手首がこんな形になるとは、ほんの数ヶ月前の私なら想像もしていなかっただろう。
泣きそうとも怒っているとも取れる表情の彼はしばらく瞳を泳がせていたけれど、観念したように目が合った。
「今じゃなくてもいいんです、いつか、プライベートでもパートナーにしてくれませんか」
「……」
い、言えた。
ずっと胸の奥で燻っていた思いを伝えると、しばらく沈黙が訪れ、そして私の背に衝撃が走る。一瞬何が起きているのかわからなかったけれど、すぐに私を包むぬくもりの正体が成瀬さんだとわかった。
「無理よ。いつか、なんて無理」
「あの、すみません、これってどういう状況ですか」
「……空気読んでよ。どう見てもアンタに絆されて我慢できなくて盛ってる男の図でしょ」
「さか、さ、盛ってる」
「ごめんなさい、言葉が悪かったわ」
ぎゅうっと強く抱きしめられたのち、成瀬さんが大きく一呼吸してから言葉を続けた。
「アンタがかわいくてたまらないの」
「……」
「今夜限りのことだなんて思わないで。好きよ。……アタシから逃げないで」
私なんかが成瀬さんみたいな人に思われるなんて、そんなことがあって良いのだろうか。こんな幸せってある?
そう舞い上がる気持ちもつかの間、最後に絞り出すように囁かれた成瀬さんの願いが切なくて、気づけばその背中に手を回していた。
その思いごと抱きしめるように力を込めると、成瀬さんは震えながら私にしがみつく。首筋に温かいものが触れて、なんとなく、成瀬さんが泣いているのがわかってしまった。
「アンタのせいよ~~~」
「そんな、泣きながら言わないでくださいよ」
「だってアンタがかわいいんだもん、バカじゃないの、好きよ~~~」
「支離滅裂です」
泣きながらよくわからないことを言っている成瀬さんは、気が済むまで、うん、まあ結構長い間、私の首に顔を埋めていた。
成瀬さんからは嫌味のない爽やかで少しだけスパイシーな香水の香りがして、まぶたを閉じたらそのまま眠ってしまいそうになる。
「なんか、ほっとしたら寝ちゃいそうです」
「アタシは全然ほっとしてないわよ、アンタをホテルに連れ込もうかどうか悩んでるわ」
「ホッ、ホテ、連れ……」
「嘘よ」
びっくりした。
あまりにも望みのない片思いをし続けていると、そういう具体的な想像からはどんどん遠ざかっていた。そのおかげで成瀬さんにもそういう欲求があることをすっかり忘れていた。だっていつも青山青山言ってるし。
……ところで、青山さんが相手の場合、成瀬さんはどうする予定だったんだろうか。
「あの、成瀬さんて相手が男だったらどっちなんですか、例えば青山さんとか」
「はぁ? アンタ本当に空気読めないわね。いくら青山とは言え他の男の名前なんか出さないでよ」
「え」
ガバっと身体が離れていったかと思いきや、成瀬さんが強く私の両方の二の腕を掴んで拘束するようにソファのシートに押し付けた。
押し倒される、とまではいかないけれど、ソファにしなだれかかるようにはりつけられた私は身動きが取れない。
「あの」
「こうやって強引にされたくなかったら、ちょっとは大人しくしなさい」
「……嫌じゃないですよ?」
「バカッ!」
これで何度目だろうか。多分、1日に怒られた最高回数は今日が最高記録だと思う。
私より優位に立っているはずの成瀬さんは、薄暗がりでもわかるくらい顔を赤くして再び私を抱きしめた。