「三蔵法師様、お納めください」
突然俺の前に跪いたナマエが厳かに差し出したそれは、どう考えてもこのシーンにそぐわぬ代物だった。
「なんだこれ」
「三蔵法師様には大変お世話になりまして」
「その喋り方やめろ、馬鹿っぽいぞ」
「えっウソ、信者の真似したのに」
おかしいな、と視線を泳がせるナマエは本気で言っている様子である。
「お前、金なんか持ってたか?」
「ちょっと汚い事をして手に入れた、ちょっと汚い金で買いました」
最近やたらと夜中に出かけたがると思っていたら金策していたのか。さすがに一人で放り出すわけにもいかず、毎度駆り出されていた八戒はすべて承知の上だろう。何も知らないような顔して……
しかし八戒がいるとなれば“ちょっと汚い”も本当に“ちょっと汚い”の範疇で済んでいるのだとわかり、胸をなでおろす。
じっとりと睨みつけると、ナマエは焦ったように首を傾げた。いつまでも跪いて差し出しっぱなしになっているカートンのマルボロを受け取ってテーブルに置き、ついでに腕を引いて立ち上がらせる。
「で、なんのつもりだ」
「三蔵のお経のおかげで、私成長してる気がする」
「……お前ついに宗教かぶれか?」
目を輝かせながらハッキリとヤバい事を口走ったナマエに若干引きつつ、俺が座っているベンチの隣を何度か叩けば、ナマエは素直にそこに腰を掛けた。
決してこういう方向に導きたかったわけではない(というか導くということすら考えていなかった)が、退廃した村でよく見かける宗教狂いの人間のようなことを平気で言ってのけたナマエを見て、さすがに責任を感じてしまう。
「あ、今ヤバい人みたいだった?」
よほど顔に出ていたようで、俺の顔を見たナマエは焦って謝りながら違う違うと何度も否定した。
「三蔵のお経聞いてたらね、いい意味で吹っ切れたっていうか…… ああ、これは私の妄想とか私の友達の話ってことにして欲しいんだけど」
友達なんかいねーだろーが。
そんな無粋な言葉は飲み込んでナマエの言葉に耳を傾けつつ、次の煙草に火をつけた。
「何かを好きって気持ちは悪い気持ちじゃないと思ってたんだけど、いくらなんでもやりすぎはどうかなってやっと気付いたよ」
「昔から『薬も過ぎれば毒になる』っつー言葉がある」
「あはは、確かにそれだ。思えば良いってもんじゃないね。一旦リセットする気になれたのは三蔵のおかげ」
「……もはや妄想でも友達の話でもなんでもねーな」
大体察しがつくその話の中身について、根掘り葉掘り聞く気にはならない。
ただ、こいつとあいつの関係が前進しているわけではないと思われる話しぶりだというのにそれほど暗くもなく、こいつにとっての前進になっていることだけはわかった。それだけで十分だ。
いつものようにケラケラ笑うナマエを見ていれば、多少は経を上げてよかったという気になった。
「もうお役御免か」
「ええー、しばらくは通う予定なんだけど」
「チッ、まだ頻繁に誦経しなきゃなんねーのかよ」
「三蔵ってば私のために……」
「腐ってグズグズ言ってるブスの顔を毎日見せられるこっちの身にもなれよ」
「すみませんでした」
大して長くもない人生の中で、自分から誰かのために経を上げたいと思ったのは片手で数え切れるほどだが、そのうちの一回がまっとうに役立ったというのは想像していたよりも気分が良い。
「今日からはまた心機一転して最初からやり直す」
諦めたわけじゃねぇってか。
肺いっぱいになった苦い煙を吐き出しながら横目で見やれば、初めてこいつに会った日のような柔らかい微笑みなんか浮かべたりして、ああ敵わない、なんて柄にもなく思ったりした。
薬も過ぎれば毒になる。
自分で言った言葉を反芻しながら、短くなってきた煙草に再び口をつけた。