最近やけに八戒の機嫌が良い気がする。
「なんかいいことでもあったか?」
「え? 僕がですか?」
「他に誰がいんのよ」
「僕は別に…… まあ、少しくらいは」
「ンだよ変な答え」
今更隠し事かよ。
答えを濁されたようで気を悪くしていると、淹れたての紅茶を持った八戒が向かいに座る。
「いえね、最近ナマエの機嫌が良いじゃないですか、前より元気になったっていうか」
「ん? ああ」
確かになんつーか、自然な感じになった。
俺があげた髪飾りも素直につけてるし、旅に出てから変に気を使ってたような気がしたけど、それも無くなった。八戒と三人で暮らしている時のような気楽さがある。
「それに三蔵もなんだか機嫌が良いし」
「そうかあ?」
「良いですよ、眉間にシワが無いじゃないですか」
「……そういえば」
ハリセンが飛ぶことはあっても、あの危ねぇ発砲は無い。確かに仏頂面よりもボケっとした無表情って事の方が多いような気もするが。それは果たして機嫌が“良い”と呼べるのだろうか……
「三蔵の機嫌が良いと悟空の機嫌も良いじゃないですか。そうすると悟浄と喧嘩もなくなるし、僕は落ち着けるというわけです。風が吹けば桶屋が儲かるって本当ですねぇ」
「なるほどな?」
「見てください悟浄、僕、また通信教育で資格を取ろうと思うんです。こんな風に穏やかな毎日なら勉強も続けられますよ」
「よくやるわ」
主婦かよ!
どれにしましょうかねえ、などと言いながら通信教育のパンフレットを広げている八戒は、随分と楽しそうに見える。
八戒によれば今はみんな機嫌が良いらしいし? 今日は俺もナンパでもしてくるか。そう思って部屋を出ようとした時、急に扉が迫って来て顔面を強打した。
「ってーな! クソ坊主! 前を見やがれ前を!」
「うるせぇゴキブリ頭、無駄にでけぇ図体しやがって邪魔なんだよ」
「んだとコラ、まずはゴメンナサイだろーが!」
「ご、悟浄ごめん、私がぶつけました」
話の腰を折るキュートな声がするなー、と思ったら、扉と三蔵の間にナマエがいた。目の前に態度のでかい坊主がいたから気付かなかったぜ。
ナマエは申し訳なさそうに「ごめんね?」と首を傾げながら俺の額を撫でる。チクショー、さすがにさっきの勢いでは怒鳴れない。
「なんだよナマエかよ、いつも気をつけろって言ってんだろ?」
「ごめん、まさかこんなピッタリなタイミングとは思わなくて」
「てめぇがンな所居なきゃ良い話だ」
ナマエが縮こまる後ろの三蔵は眉間にシワ寄せたバリバリの仏頂面なんだが?
おいおい八戒さんよ、ガセじゃねーのか、機嫌が良いってのは。
「ふたりともその辺にして下さいよ、迷惑ですから。ところで三蔵とナマエだけですか?」
「悟空は厨房のおばちゃんに捕まって餌付けされてるよ」
「まったく困りましたね。買い出しできました?」
「うん、三蔵が荷物持ってくれたし」
嘘だろ!?
ぎょっとして三蔵の手元を見ると紙袋なんか持ってやがる。ナマエは手ぶらでいて、その異常さったらない。気味が悪くて背筋が2,3本凍るかと思った。
「お、おま、おま、なんで」
「悪いのか」
「いや、悪いってゆーか……」
そもそもなんでナマエとふたりで買い出しなんか行ったんだよ。ナマエは自分から買ってでた役割だからわかるけど。悟空が行けなくなったからって三蔵誘うか?
いやいやいや、それなら俺じゃね? フツー俺の出番じゃねーのかよ? なんで三蔵なんだよおかしいだろ。よくついてったな、三蔵も。
……あ! これが“三蔵の機嫌が良い”ってことか。結局、今は悪いんだけど。
「フン、テメェみてーなクソ野郎とは死んでも一緒に行かねーよ」
「お、おお、お前と行きてーなんて微塵も思ってねぇっつーの!」
「あなた達うるさいですよ、早く部屋に入ってください。ナマエが困ってるでしょう」
「あ、いや、俺は出かけるから」
「さっさと出てけ」
これ八つ当たりじゃねーの?
三蔵から謎の冷遇を受けつつ部屋を追い出されるように後にして、慌てて厨房に駆け込んだ。能天気な顔でつまみ食いしている猿を捕まえて外まで引っ張り出す。
「なんだよ急に! まだ食ってたのに邪魔すんな赤ゴキブリ河童!」
「うるせー、それどころじゃねーよ! どーしてナマエについて行かなかったんだよ!?」
「ナマエになんかあったの!?」
「無いけど! いや無くはないけど!」
「はあ?」
訝しがる悟空に出店の串刺しフルーツを与えて黙らせると、上機嫌になってついてきた。現金なやつ……
宿から少し離れたベンチに腰掛けて尋問を開始する。
「お前なんでナマエほっといたわけ? そーゆう時は普通俺に声かけるんでねーの?」
「ああその話? 俺も珍しいなーとは思ったんだけどさ、でも三蔵が自分で行くって言うからさー、別にわざわざ悟浄に頼まなくてもいいかなって」
「はあ!?」
マジかよ三蔵機嫌良すぎだろ……
つーかそれってもはや機嫌とかそういうレベルの話じゃなくて、ナマエと買い出し行きたいって話なんじゃねーのか?
荷物持ちしてんのも下心あるってことじゃねーのか?
「なあ悟空、三蔵からナマエの話とか聞いたことないのかよ」
別に誰が聞いているわけでもないのに無駄に小声になってしまう。
こそこそ耳打ちするように悟空に問いかけると、この猿はしばらく考えた末に信じられない言葉を吐き出した。
「話は聞いた事ないなあ…… あ、でもナマエのこと好きみたい!」
落雷が脳天をぶち抜いたような衝撃が走り、その後はもうよく覚えていない。
気がつけば八戒に起こされて、二日酔いの状態で目が覚めた。夢かと思ったけどどうもそれは現実に違いない。
よく見たらナマエのために扉を開けてやる三蔵やら、八戒でもいいようなことをわざわざナマエに頼んでいる三蔵やら、些細な会話を楽しんじゃう三蔵やら、今まで見せなかったような姿を惜しげも無く晒す三蔵に気づいてしまった。
そして、なんとも言えない複雑な気持ちになっている俺自身にも。
「八戒、たまにはふたりで飲みに行きてえや」