「チュロひとつとホットチョコレートふたつ」
「1,000ベリーで、す」
「ん、どうした?」
いつもと違う注文をした。
初めてかもしれない。味を変えたのも、きちんと数を言ったのも、ひとりでこの店に来たのも。注文を受けたナマエは、おれを見るとはっと目を見開いて固まってしまった。
ぽかんと口を開けたまま、おれを見つめて。いろいろと初めての事をしてみたものの、そんなに驚く事もないだろう。いつもわざと怒らせるような事ばかりしてきたけれど、改めてナマエにもいろいろな表情がある事を知る。
今でも時々普通の接客をしているナマエを覗き見する事がある。やっぱりあの時と変わらずに、貼り付いたような笑顔だった。
そんな偽物の笑顔でも、それでも笑顔を絶やさず接客するナマエは普通にかわいらしいと思った。
ナマエはなんでもないです、と短く言うと、すぐに作業に移っておれのチュロを揚げた。
チュロを待つ数分が好きだ。真剣に揚げる様子をずっと見ていられる。丁寧に生地を絞り出す仕草や、いつも釜を気にした様子。端々から感じられる彼女の性格のようなものを見られるのが楽しかった。
広場からはさっと人がいなくなり、いつの間にかチュロを揚げるナマエと、それを待つおれだけになる。
「お待たせしました」
「釣りはいらねえよ。なあ、どうせ客来ないんだろ」
「よくそんなことが言えますね」
「こっち来いよ、休憩しようぜ」
「は?」
いつものような心底嫌そうな顔をしながらおれを睨みつけるナマエを、屋台の中に腕を突っ込んで引きずりだした。
改めて目の前に立たせると、思いのほか小さな体をしていた。腕だって細いし。店は上手く行っていると思っていたけれど、満足に食べていないのか。
突っ立ったまま動かないナマエの腕を引いて、いつものおれの席に座らせた。揚げたてのチュロを真ん中で半分に切って袋入りの方とホットチョコレートをひとつナマエに手渡す。
どうせしばらく狼狽えてるんだろうから、おれはナマエに構う事なく片割れのチュロをホットチョコレートにひたしてから齧りついた。
「チョコも美味いな」
「当たり前でしょ」
「ああ、その方がいいな」
「はあ?」
「敬語で喋るのやめろよ、おれとお前の仲なんだし」
「親しくなった覚えはないんですけど」
「つれねえなあ、こーんなに通ってるのに」
「通ってくれと言った覚えもないです」
おれとは一切目を合わせずに席を立ち、屋台の方に戻っていった。なんだ、つまんねえ。話できると思ったのに。
屋台で仕事をするナマエを見るのもいいけれど、顔突き合わせて話すのだって悪くないだろう。見ればほぼ毎日休みなく屋台を出しているし、こうするのが一番だと思ったのに。
「あの」
「え?」
不貞てたおれの前に、ゴンッと鈍い音とともに紅茶らしい液体が注がれたグラスが置かれた。その隣にはもうひとつ同じグラス。
今度はおれがぽかんとしてナマエを見てしまった。
ナマエはおれの隣に腰をおろしておれを見た。少し申し訳無さそうな、怒ったような、バツが悪い表情というのか、複雑そうな表情を浮かべている。
「あの、いつもお金たくさん、ありがとうございます」
「なーんだよそんな事か。気にすんなって、おれのせいで人来ないんだろ」
「わかってて毎日毎日よく来れますね」
「だから多めに渡してるじゃねーか、許せよ」
ありがとう、なんてしおらしく言っちゃって。と思えばすぐさま悪態つくあたり、ナマエらしい。ナマエ“らしい”なんて言えるほど、おれはナマエの事なんて知らないはずなのに。
ああ、だからおれはナマエと話がしたかったのか。
事実に直面しなければ何もわからないなんて、子供かよ。
「そういう問題じゃなくて」
「別に全体の客が減ってるわけじゃないなら文句言うなよ」
「どういう立場から私に意見してるんですか?」
「言うねえ、お嬢ちゃん」
「言っておきますけど、私あなたの事嫌いですよ」
「フフフ」
ナマエがおれを嫌いだと言った。
なんだかそれが無性に嬉しかった。きれいな瞳を歪ませて、嫌い、と言ったナマエが愛しくて、なんとも可愛らしくて、可笑しくてつい笑ってしまった。
ナマエは更に嫌そうな顔でおれを見ている。
「ドフラミンゴさんてマゾなんですね」
「おー、おれの名前覚えてくれたの」
「自分の手配書を名刺代わりにする人初めて見ました」
「あとおれマゾじゃないから」
「聞いてません」
微妙に噛み合わない会話が楽しい。ずっとこうしていられたらいいなと思った。
最初からこうしていればよかった。娼婦など連れて来るのはやめて、ナマエの時間を買えばよかったんだ。
なんでこんなに馬鹿になっちゃったのかな。
「ナマエ」
「名前で呼ばないでください」
「じゃあ教えなきゃよかったんだ」
「……あの、死ぬか名前教えるか選んで、って言ったの誰でしたっけ?」
「海賊ジョークよ」
ああ、怒ってる怒ってる。もっと怒ればいいのに。思わず頭を撫でそうになった手を引っ込めた。
女を触ることに躊躇したのは初めてだった。相変わらずの理解不能なおれの行動には、頭がどうにかなりそうだ。
「あー、ダメだ」
「はい?」
「なんでもない、こっちの話だ。紅茶も美味かったぜ、また来る」
「来なくていいです」
「そう言うなよ」
またひとりで来よう。そしてこうしてふたりで話をしたい。
もっとナマエの事が知りたい。
ナマエが笑う事、怒る事、悲しむ事、安らぐ事、いろいろな事が知りたい。
ナマエの事を知るのが楽しい。
「なあ、おれの事待っててよ」
「……待ってませんけど、別に来てもいいですよ」
「ありがとう、また来る」