プラチナ 08

あれからパニック状態だったナマエも今はもう落ち着いたようだった。
拐ったあの日のような怯えた目で見られて以来、一度も目を合わせてくれない。それでも会話はしてくれるようになったし、飯も食べるようになった。おれが見ていられない間はモネに監視を頼んでいたけれど、いつ見ても何かを考えているようにぼーっとしている時間が多いようだった。
前みたいなわざとらしい笑顔も、心底嫌そうな目つきも、仕事中の真剣な眼差しも、ずっと前の出来事に感じる。

今もソファの上で俯いたまま、何かを考えているようだった。夕日に照らされた部屋の中で影に包まれて、表情はわからなかった。
おれがナマエから何もかもを奪ったけれど、それが何かおれは知らない。
家族とか、友人とか、恋人とか、金とか、服とか、家とか、店とか、その他何があったのかとか、そのうちのどれとか、それとも全部か。

「ナマエ」

ぱしん、と小さな音を立てて、肩に掛けた手を振り払われた。

「ごめんね」
「……わからないんです」
「え?」
「自分のこと、整理したくて考えてたけど、わからなくて……」
「おれが憎い?」
「わからないです」
「……それは、憎くないかもしれないってこと?」

ナマエの前に屈んで、恐る恐る表情をのぞき込むと、眉間にしわを寄せて泣きそうな顔をしていた。見てはいけないものを見た気がしたけど、目を逸らす事ができなかった。
うっすらと浮かぶ涙が今にも零れそうだった。

「わかりません」
「……」
「一人に、してください」

弱々しいナマエの姿を見れば見るほど、後悔のような気持ち悪い感情が浮かんだ。
今更何を後悔しても、すべてが遅い。ナマエの事も、この国の事も、おれの事も。おれの支配に下った街に、ナマエの所有物は存在しない。ましてやナマエの命なんて、おれの自由だ。奴隷にもできるし、嫁にする事だって、人形にする事だってできる。
ナマエの生活を壊すのなんて簡単な事だ。それでもナマエを生かして、保護して、振り払われても謝って、こうしておいておく事が正しいのかわからない。そもそも自分が何したいのかわからない。

ただひとつ言えるのは、今のおれは、何一つ満足していないという事だ。国を手に入れ、女も手に入れ、七武海にも入り、計画も着実に進め、それなのに何一つ満足していない。
ナマエを泣かせたいわけじゃなかった。喜ばせたかったというのも違う。人形にしたくなかった。ナマエがナマエのままでいられるようにしたかった。
けど、おれはナマエを何も知らなかった。ナマエのまま、が、どんなことか知らなかった。
思いの外それがショックで、おれもこんな腐ってる。
……んだと思う。多分。

何も知らないけど、きっと愛してる。ナマエを見るたび変な気持ちになる。苦しいような、楽しいような、愛しいような、非常に不自然な気持ちになる。
おれは常々直感と欲望に素直な人間だと思ってきた。近頃その感覚が狂いまくっている。ナマエじゃなかったら、きっとこんな事思わない。
愛する事がどんな事か知らないけど、ナマエに初めてキスした時、埋もれてた直感が「愛してる」と言わせていた。
どんな事になっても、どんな現実があっても、おれはナマエを愛してると思う。
今もきっとそう。もっとナマエの事が知りたい。過去の話じゃなくたっていい。なんでもいいから知りたい。

「ねえナマエ」

部屋を出る前に声を掛けると、ナマエは小さな声で「はい」と言った。おおよそおれの事なんて見てはいないだろう。おれも少しだけ怖くて、ナマエの事は見れなかった。

「明日はレストランに行こう」
「は……?」
「一緒に食事をしよう、ナマエの事が知りたい」
「え、あの……」
「そのつもりで」
「あ」

ナマエの言葉も聞かず、部屋の扉を閉めた。明日の事を考えるとさっきまでの憂鬱が少し軽くなった気がした。

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